お江戸まで、ちょっとお宝探しに~落語篇
いや、もう前座が長くてお待たせしました。
一年越しで待ちに待った、林家あんこ師匠の『北斎の娘』。
それを、吉穂みらいさんと一緒に楽しんできました。
10月19日、江戸深川資料館にて午後7時からの開演。
午後6時半過ぎに会場に向かうと、資料館エントランス前のベンチに、地元のファンの方々でしょうか、三々五々に集まって歓談されています。
10月とは思えない暑い日でしたから、夕涼みのような風情で、宵闇せまる下町の情緒に「いいなあ」と、気分はすでにお江戸です。
2階会場前で、ぼんらじさんにご挨拶し、パンフレットをいただきました。
会場は、満員御礼の熱気に包まれています。
みらいさんが取ってくださった席は、中央前寄りの最高の席でした。
舞台と客席が近いのも、いい感じ。日本の古典芸能では、花道など舞台と客席が一体になれるしかけがあるのが、いい。すぐ手を伸ばせば舞台の世界へと引き込まれる感覚があります。歌舞伎の大向うからかかる掛け声など、役者と客が一体になって舞台を作りあげる。同じように今公演でも客席からあがる笑いがお芝居を盛り立てていて、そのライブ感にもぞくぞくしました。
前座の三遊亭歌きちさんが座布団を返して袖に引き込むと、待ってました、とあんこ師匠が高座に。一つひとつの所作が、ぴりっとして粋でほれぼれ。
『北斎の娘』を創作されることになった顛末からはじまりました。世間話でもするように軽妙にぽんぽんと語る等身大のリアルなあんこ師匠が、そこにいたはずなんです。それが……。
するすると羽織を脱いだとたん、江戸の町の喧噪が聞こえ、墨と胡粉と岩絵具の散らかる工房で筆を握るお栄がいたのです。実にその切り替わりが、滑らかであざやかで。たちまちに、お芝居の夢幻の世界に惹きこまれました。目の前の高座にいるのは、1分前と変わらぬあんこ師匠のはずが、お栄に見えてしかたないのです。歌舞伎や能には早替わりという演出があります。そんな技で衣装や鬘を替えたわけではありません。これこそプロの噺家かと、ため息がこぼれました。
近松門左衛門の芸論に「虚実皮膜論」というのがあります。
虚(フィクション)と実(リアル)との間には透けるほど薄い膜があり、そこにこそ芸術の真髄があるというものです。『北斎の娘』を聴きながら、頭の片隅で「これこそ虚実皮膜だなあ」と幾度思ったことでしょう。
なによりも感じたのは、色気でした。
お栄は「紅」をあたしの色だと言います。『吉原格子先之図』でも、紅と墨が効果的に引き立て合っています。当時一世を風靡していたのは、べろ藍。北斎も広重も傾倒したブルーです。そんな流行とは一線を画し、「紅はね、あたしの色なんだよ」とお栄は言います。紅はお栄のアイデンティティであり、天才絵師北斎の呪縛から屹立しようとする意地だったのでしょう。
北斎は、まぶしく強烈な光です。
現代の私たちからしても、あれほど大胆な構図の画は驚きでしかありません。数時間前に東京都現代美術館で鑑賞した現代アートですら、かすんで見えるほど。天才絵師を父にもち、同じ修羅の道を志すのは、どれほどの苦悩だったのでしょうか。
強すぎる光は、影も濃くなる。
『吉原格子先之図』の光と影の対比は、描かれるべくして描かれたのだと思わずにはいられません。天才の技法を間近で、つぶさに学べる贅沢。それと同じくらい、いいえ、それ以上に、彼我の才能の違いを否応なくつきつけられる悔しさ。余人には、はかり難い、その苦しい胸のうちを、あんこ師匠の語りがじんじんと響きます。
「落款」も印象的に使われていました。
落款とは画の片隅に押されている印のこと。落款を押すということは、その作品は私が描いたものですよ、と作者が公的に宣言するようなものです。
ところが、お栄は自身の描いた画に、北斎の落款を押すことを強要される。
「北斎の落款がないと売れないんですよ」と版元からつきつけられる容赦ない現実。前半の若いお栄は、「なんでだよ」と啖呵を切り悔しさをにじませます。
ところが、幕間をはさんだ後半。晩年の北斎に寄り添い、ほぼ北斎の代筆をしていたお栄は、自分が描いた画に北斎の落款を押すことに、もうこだわりません。それは、自分の名を残したり、自らが世間から認められるよりも、北斎の画業を完成させることに徹しているようでした。でも、私のうがった見方かもしれませんが、世間ではなく、天才北斎に認められることの方に価値と意義を見出したようにも思えました。
伝統芸能の世界で女が身を立てることは、江戸の世はおろか現代ですら困難が伴います。ご存知のように歌舞伎はいまだに女形があり、大名跡に生まれても子方の時期をすぎると娘は舞台にあがらせてもらえません。不思議ですよね。歌舞伎をはじめた阿国は女性だったというのに。お栄の困難は、林家時蔵師匠を父にもつ、あんこさんにも通ずるものがあるからこそ、真に迫るものがあるのだと僭越ながら思いました。
辰巳芸者の流れの色濃く残る深川では、粋でいなせな姐さんの芸も今に息づいていることを、小すみ師匠の三味線で堪能させていただきました。
ほんとうに贅沢な夜でした。
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昨日の記事でもご紹介した、みらいさんによる公演感想はこちらから。
いぬいさんは、あんこさんの応援隊長として、『北斎の娘』の進化を追っていらっしゃいます。
geekさんによる極上の解説は、こちらからお楽しみください。
報知新聞でも、公演のようすが記事で紹介されていたもよう。