大河ファンタジー小説『月獅』43 第3幕:第12章「忘れられた王子」(1)
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第3幕「迷宮」第10章「星夜見の塔」は、こちらから、どうぞ。
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第3幕「迷宮」
第12章「忘れられた王子」(1)
後宮の池にはりだした四阿にはすでに王太后が腰かけていた。池面を初秋のぬるい風がわたる。
カイル王子のご誕生に、サユラ妃の父であるギンズバーグ侯爵は狂喜し「よくやった」と娘を手放しでねぎらった。宿下がりから後宮にもどるとすぐにサユラ妃は王太后に呼ばれた。
四阿に続く柱廊を渡る。池の畔の柳が風に裳裾を揺らす。正装の胸もとに汗がにじんだ。乳母に抱かれたカイルの泣き声が届くと、ドレスの裾をひるがえして王太后が立ちあがった。
「元気なお子じゃ。よくぞ無事にお産みになられた。礼を申します。乳が欲しいのやもしれぬ。ここは風も淀んでおる。邪気にあたってはならぬゆえ、カイル殿はさがられよ。皆もさがりや。妾はサユラ殿と少し話がある」
王太后は人払いをし、サユラに席をすすめた。警護の衛兵のみ回廊の端に控える。
鯉が朱と白の肢体をくねらせ跳ねた。浮草がゆれ水紋が広がる。
カイルが泣くとサユラの乳首からじんわりと白い液体がにじむ。わが子に与えることのかなわぬ乳。胸に巻いた晒しか吸ってはくれぬ。初乳は赤子に必要だからと、生まれてすぐに一度だけ吸わせた。小さな口がぎゅっと吸いつき、まだ歯も生えておらぬのに、乳首をかりっと噛んだ。「痛っ」と小さく叫び、声を挙げたはしたなさを羞じいり、慌てて口をつぐんだ。思いのほかの力強さに、愛おしさが胸の奥からこみあげ涙がひと筋こぼれた。だが、乳を吸わせたのはその一度きり。吾子はわが手から取りあげられた。
「喉が渇いておるであろうが、我慢してたもれ。毒見のものもさがらせたでな」
はっと、サユラは顔をあげる。
「そなたに害をなすつもりは妾にはない。なれど、どこに悪意がひそんでいるやもしれぬ。王宮とは魔宮よ。危険は避けるにこしたことはなかろう」
王太后はゆるりと笑む。
「吾子とは愛しいものであろう」
ぬるい風が頬をなでる。
「ひと度手にしたものを失いたくはのうなる。ましてやそれが吾子となれば」
サユラは激しくうなずく。
「カイル殿を無事に育てられよ。そのためには、玉座からもっとも遠ざけられよ」
また鯉が跳ねた。サユラは膝に置いた扇を握りしめる。
「トルティタンとの同盟を反故にはできぬ」
王太后は池の向こうに目をやる。
「そなたとアカナ殿にはむごいことをしたと思うておる。なあ、王族とは虚しいものであるな。そうまでして護らねばならぬ国とはなんであろうな」
冷たい汗が胸もとを滑り降りた。
(to be continued)
第44話に続く。
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創作大賞向けの『アンノウン・デスティニィ』などを間に挟んでいたため、
ずいぶん長らく間があいてしまいました。
『月獅』の第3幕の続きを再開いたします。
舞台は変わらず、レルム・ハン国の王宮内部。
忘れられた第2王子カイルの物語です。