#1「一度きりの、ミントジュレップ」
”Say When! ”は、お酒を注ぐときに「ここまでって言ってね」「ちょうどいいところで知らせてね」という意。お気に入りの一杯を味わうように、ゆっくりと楽しんでいただけるエッセイを綴っていきます。
ミントのカクテルで有名なのはホワイト・ラムベースのモヒートだが、私にとっては、つぶしたミントにクラッシュドアイスとバーボンを注ぐミント・ジュレップだ。
若く多感なころに『風と共に去りぬ』にはまった時期があった。当時の私にとってのナイトキャップは『風と共に去りぬ』だった。メラニーが亡くなりレットが去り何もかも失くしたスカーレットが「明日は明日の風がふく」とつぶやくラストを読み終えると、波のように押し寄せる余韻と興奮のなか、レットがスカーレットのもとに戻ってくる物語の続きを夢想しながら眠りに落ちるのが常だった。今日はあの場面を読もう、今夜はこの場面だ。そんなつまみ食い読みを繰り返すうちにいつしか、この壮大な物語を紡ぎだしたマーガレット・ミッチェルその人に憧れを抱くようになった。おそらく意識の片隅にいつも『風と共に去りぬ』があったのだろう。もうタイトルは忘れてしまったのだが、そんな折に『風と共に去りぬ』を執筆したころのミッチェルのことを書いた評伝を読んだ。
主人公の名が最初はスカーレットではなく、ぴったりの名に至るまでの苦悩のさま。新聞社時代のこと。スカーレットに引けを取らず魅力的だったミッチェルのことなど。『風と共に去りぬ』が世に出るまでの奇跡とそれにまつわる逸話が、小説とリンクするように描かれていたと記憶している。小説に登場する大富農たちの華やかなパーティの面影はなかったが、それでも小さな夏のパーティでミッチェルが好んで飲んでいたのがミント・ジュレップだった。アトランタの乾いた赤土の舞う夏の喉をうるおす清涼飲料として幾度も登場した。
以来、私はそれを飲んでみたいと切望した。評伝のなかでは気取ったカクテルではなく、ごくカジュアルな飲みものと紹介されていた。ところが、なかなか憧れの一杯にはありつけなかった。
一枚板のカウンターのあるようなバーに行くたびに「ミント・ジュレップを」と注文するのだが、「申し訳ありませんが…」と断られてばかりだった。レシピそのものがわからないという店もあったが、ミントの葉をつぶしてバーボンを注ぐミント・ジュレップには生のミントの葉が欠かせない。季節かまわず注文していたのも悪かったのかもしれないが、とにかく生のミントの葉がないのでつくれない、というのだ。
半ばあきらめていたのだが、その日も呪文のように「ミント・ジュレップを」と、頼んでみた。残念なことに今はもうないが、京都の鴨川沿いにかつてあった藤田ホテルのバーだったと記憶している。そこは半地下になっていて、カウンターの後ろが全面ガラス張りのはめ込み窓だった。川床料理を楽しんだことのある方なら気づいているかもしれないが、床の真下を細い疎水が流れている。バーの窓の下端は、ちょうどその疎水の少し上あたり。横に細長い窓を通して鴨川べりが借景になるという粋なつくりだ。
連れは早口でよくしゃべる人だった。それをさざ波のように聞き流しながら、私は窓の向こうに横たわる夕なずむ鴨川を眺めていた。
バーテンダーが流れるような手さばきで、コースターを1枚私の前にすべらせ、大ぶりのグラスを置いた。氷のくずれる音がした。琥珀色の液体にうっすらと淡い薄緑の筋がたゆたう。そう、あこがれ続けたミント・ジュレップだ。幾度注文してもありつけなかったものだから、目の前に置かれた一杯が信じられなかった。
じっとグラスを見つめるだけの私を、連れが怪訝な顔でのぞきこむ。その理由を話したかどうかは、今となっては忘却の海だ。
最初の一口を愛おしむようにゆっくりと喉に流し込んだ。その一瞬だった。バーテンダーの肩越しに、夕暮れになずむ鴨川べりではなく、夕陽に真っ赤に焼けるタラの大地を見た。憧れと酒の高揚感が幻を見せたのだろう。だが、その不思議な感覚の残滓は今も記憶にある。
私にとって忘れられない一杯となった。あれから一度もミント・ジュレップを飲んでいない。