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武将隊を追いかけて、救われた話

宮城県白石市を中心に活動していた「戦國武将隊 奥州片倉組」(以下、片倉組)というおもてなし武将隊をご存知の方はいらっしゃるでしょうか。

まあ、今は活動休止中(実質、活動終了してる)ので、ご存知でなくともまったくかまわないのですが、今日は片倉組を追いかけてた頃の話なんかを書いてみようかと思います。タイミングもあったとは思いますが、私は片倉組を追いかけていたことで、随分救われたことが多かったと思っています。

片倉組とはナニモノなのか

まず、片倉組について簡単に紹介をさせてください。

2010年9月7日吉日、白石市公認武将隊として戦国の世からあいつらがよみがえる!おもてなし武将隊というより、にぎやかし武将隊ののこいつらはいったい???(公式ブログ跡より)

片倉組とは、宮城県白石市に居城を構えた伊達政宗の家臣・片倉小十郎を中心とした武将隊です。片倉小十郎ってのは、戦国BASARAでネギ構えてたヤクザっぽいヤツというと、アニメとか好きな人には分かりやすいかもしれません。

名古屋おもてなし武将隊や伊達武将隊などのように城には常駐しておりません。たまの土日やイベントに出てくるボランティア武将隊です。
普段はサラリーマンなんかをやってるおじさんたちです(これは本人たちが公表してた)。

片倉組のなにが好きだったかというと、元々時代祭りなんかが好きな人たちで甲冑などがこだわりの自前品なところ。知識も豊富で、話が面白いところ。ゆるゆるなところ。名古屋や仙台なんかと違って若いイケメンじゃないところでした(でも片倉組の推しは若くてイケメンの佐助さんでした)(ひとめぼれでした)(わりとガチ恋に近かったです)(今でもドキドキします)。

地元に帰るきっかけになった

片倉組を追いかけると決めた時、まだ学生だったのですが、すでに県外に就職が決まっていたので、宮城での活動が中心の片倉組を追いかけるということは、定期的に宮城に帰らないといけませんでした。

就職したならば「宮城には絶対帰らない」という気持ちで実はずっといました。いろいろあって、私の就職したあとわりとすぐに実家が宮城からなくなってしまったし…。帰る場所はもうないのだと、覚悟して出て行った記憶があります。

でも結局、神奈川で就職して2週間も経たずに仙台駅で片倉組の小十郎さんが出るイベントがあるからと帰省。そのまた2週間後にも白石の春まつりがあるからと宮城へ。

一ヶ月のうちに帰りすぎ。

最初の覚悟はどうしたって感じなんですが。


でも育った地元へは就職後5年くらいはまじで近寄れませんでした。これはほんと。つらい思い出が多すぎた。

そんなこんなで片倉組を追いかけていた時分は結構な回数、地元などには寄らずとも帰郷していました。

仕事を頑張るための糧となった

右も左もわからない、知り合いもいない新しい土地での新生活。
もちろん遠い土地となってしまった宮城ではありましたが、「片倉組に会う」という目的のため、宮城に帰るため、仕事も頑張れました(結果はさておき)。

知り合いが増えた

現場に通うようになり、次第に顔見知りも増えていきました。
片倉組のおもてなしを楽しむのはもちろんでしたが、知り合いに会うこともまたひとつの楽しみになりました。
行けなかった現場のことや、他の隊の話が聞けたり、神奈川は武将隊文化がまり栄えていない土地でしたので、情報交換ができる人との繋がりはかなりありがたかったです。

文化に関する知識が増えた

もともとまあそれなりに歴史には興味関心はありました。
それでも教科書と資料集に少し毛が生えたくらいの知識くらいです。あとよくて大河ドラマからの知識とか大手歴史創作の某大先生の小説を読んでの知識とか(これが一番あてにならない)。

片倉組にはまり、当時いた阿梅姫のお着物が最高かわいらしかったのもあり、時代装束などにも関心をもつようになりました。(これは余談ですが、のちに和装を始めるきっかけになったのも阿梅ちゃんです)

片倉組のメンバーに「刀」について解説してもらう機会などもあり、生で手入れの様子などを見せてもらったりして、造詣を深めることもできました。

初めての土地に行くきっかけになった

追っかけといえば、遠征がつきものです。
ただでさえも宮城でもおもてなしの時点で、わたしは遠征であったのですが、他の土地での遠征を追いかけに行くこともありました。もともと旅行好きではあったのですが、「片倉組が行くから」はかなり大きな要因となりました。
片倉組の追っかけのおかげで車での長距離移動も覚え、今では1人で往復1000キロ超のドライブも悠々するようになりました。

追いかけて得たもの

まず一番大きかったのは武将様からの認知(笑)です。
「おお、また来たのか」なんて言われたり、軽口叩かせていただけるようになったり、最後の方はまるで親戚のおっちゃんたちと会うような感覚でありました。

それから片倉組を追いかけることは精神の均衡を保つ指標となりました。
どんなにつらいことがあっても、片倉組のブログやツイッターはいつも面白かったし、実際会えば可愛がってくださって、そして元気をくれました。

武将様からとんでもないものをいただいたこともあります。
それは、大好きな佐助さんとのツーショットの後押しです。数年追いかけ続けても、好きすぎて容易に近づけない、まともに話しかけに行けない私に、とんでもないサプライズでした。本当におそろしい…しかし本当にありがたいことでした。優しさが身に染みた瞬間でした。

幸せな数年間でした

片倉組を追いかけていた数年間は世界も広がり、充実した日々でありました。
地元を離れるタイミングだったのもあり、片倉組は心の支えになっていました。明るく生きていけたのも、片倉組のおかげだと思ってます。

何か夢中になれるものがあるっていうのは、大事なことですよね。

いつか、恩返しのようなことができたらなと思っています。
具体的なものは何も決まっていませんが、間接的であっても、わたしも誰かの支えになれるような活動ができたら なんて思ったりする昨今です。

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ゆきむらでこ
久しぶりに始める創作活動費用に充てさせていただきたいと思います。