天気の子考察。なんで神様はあんなに無慈悲なのか(ネタバレ有)
天気の子地上波初放送を記念して、公開当時からずっと思っている考察を書き留めておこうかなと筆を取りました。
先に申し上げますと、私自身は他の方の考察を読んだりしておらず、公式インタビューとかもあまり漁っていないので、既出情報もあるかもしれません。予めご了承ください。
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天気の子を鑑賞後、初見だとどうしても心のどこか後味の悪さが残ってしまうと思います。ゆっくり考えて、意味を見出して今ではきちんと納得できるのですが。
どうしてきれいなハッピーエンドにならなかったんだ、陽菜も助かって雨も止むTRUEエンドはできなかったのか、どうして神様はそれを許してくれなかったんだ、という。
と、「神様」というワードで気になったのですが。
あの「空との入口」の神社、いったい誰が管理していたんでしょう?
あんな廃ビルの屋上です。誰も来なくなって久しくなっていたとしてもおかしくない。
誰にも祀られず、存在すらも忘れられ。もしかしたら何もされず朽ちたり、ビルの解体と同時に壊されてしまうかもしれない。
そりゃあ神様だって怒って「雨止ませたければ巫女をよこせ」と言うのではないだろうか。
君の名は。では代々宮水神社の人たちが神様を祀っていて、巫女舞・口噛み酒を奉納して神様を讃えていた。
神様もいつも祀ってくれる人たちへの感謝の気持ちも込めて、隕石から救われるよう代々の巫女へ介入をしていたのではないかな、と。
よく「人は忘れられたときに本当の死を迎える」と言った言葉がありますが、もう既にほとんどの人に忘れられた廃ビルの神様は、自分をつなぎとめるために人柱を欲した可能性があるかもしれない。
なので、ね、帆高と陽菜が世界の理を変えたなどと悩むよりも先にすべきことは、きちんとあの廃ビル神社を再興させることだと思うんですよ。これなら大人の力でできる。子供が悩むことではなくなる。
それで雨が止むのではないかなぁ。
ちなみにこの考察でいくと、映画冒頭で陽菜が初めて廃ビルに登った際に、鳥居の近くにあった精霊馬の言い訳がつかないんですけどね。人いるやん。
あの精霊馬の意味も考えたのですが、陽菜の前に人柱になっていた巫女が精霊馬で帰ってしまい、神様が新しく陽菜を呼んだ、という解釈をしています。
誰かがいたずらで置いたので前任巫女が逃げ出せたのか、それとも誰かの明確な意思のもと連れ出したのか。
茄子の牛も置いてあったので当初は帰る気があったのかもしれない。何らかの理由で空へ戻れなくなったか、戻りたくなくなったか。
前述の考察で行くと「この神社を知る存在」がいてはいけないので、たまたま見つけた人がお供え代わりに置いて行った、とかかなぁ。
本編とは直接つながらない部分なので想像するしかないですが、「なぜ雨が止まなくなったのか」を考えるのも楽しいです。
…でもあれ?劇中の人柱について言及していた神社は、巫女を差し出した後しっかりと祀ることで今は普通の天気を保っている、と解釈しているのですが、あそこ東京だったっけ?東京の外ならこの解釈でいいけど東京だとやっぱりこの考察崩れるなぁ。困った…どうだったかな…