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大学に落ちた時、特に何も感じなかった話 │ noteはじめます #1
”悔しい”って感じる人が羨ましい。
きっとそう感じる人は自分に向き合っている人なんだと思う。
2016年2月24日水曜日、慶應に落ちたんですよね。
でも、特に何も感じなかったんですよ。本当に何も感じなくて。「え?自分大丈夫か?」って逆にびっくりしたことを今でも覚えています。
(サムネイルの画像は、実際の不合格の写真なんですが。スクショを撮る元気はあって我ながらウケますね)
当時の感情を振り返ると、こんなことを考えていたなと思います。
「受かると思ってたんだけどな〜」「そっか。自分は天才じゃなかったか〜」「受験料もったいなかったな」
いや、のんきか。4年前の自分もっと申し訳無さそうにしろ。
大学に落ちた当日の写真です。落ちた当日に友達とお好み焼きをしてました。のんきすぎる。よく母親は怒らないでくれたなと思います。友達は申し訳無さそうな顔してますねw
大学に落ちて”恥ずかしい”
でも、一つだけ強く感じた気持ちがありまして。
当時、横浜の(自称)進学校に通っていたぼくの周りは、みんな早慶や東大に進学を決めていたんですよね。慶應にすら受からないというのは、その当時ではすごい恥ずかしいことだったんですよ。
みんな、「早慶は最低ラインだよな〜」「浪人は恥ずかしいよね」「◯◯先輩浪人らしいよ」みたいな話をしてました。高校生こわっ。
そう、ぼくにとって大学に落ちるというのは”恥ずかしい”ことだったんだなと。
友達にはもちろん言えなかったですし、受験勉強に付き合ってもらっていた一個下の元カノには絶対に言えなかったです。恥ずかしすぎて。あ〜来年同期か〜。ていうか同期ですらなれるのか。なんて。
大学受験あるあるだと思うんですが、参考書をたくさんもってました。受験生でたくさん参考書を使っている方、悪いことは言わないから数を絞った方がいいと思います。先輩より。
”悔しい”って人は自分に向き合っている人なんだと思う
周囲に対して感じる気持ちが”恥ずかしい”、自分に対して感じる気持ちが”悔しい”なのかもしれない。
周囲がすごいって言うことに対して向き合った結果と、自分に向き合った結果の違いなんだとおもう。
そういうえば、”悔しい”って感じたことをほとんど思い出せないかも。恥ずかしいはあっても悔しいはないんだ。なんとなく寂しい。これからは自分に向き合っていこうと思います。
今思い返せば、慶應に行くっていうことは自分の目標じゃなかったな、って思う。志望校を慶應に決めた理由も、高校に張り出されていた私立大学の偏差値表で一番上に載ってたからだったもんな。
あ、でも。高校生の時、ドッチボールに負けるとめっちゃ悔しかったな。
たぶん人生ってそんな感じ。昼休みのドッチボールみたいな人生を続けられたら幸せだなって思いますね。
高校のドッチボール大会の写真。左がぼくです。
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