ある日、家が燃えた

お気に入りの薄いブルーのジャンパーのポケットに10円の大玉飴が二つ。
母ちゃんと二人で分けて一個づつ。
燃え盛る自分の部屋を見つめながら「この飴を二人で分けるんだ」と思っていた。

寒い冬の日だった。
小学校5年。

目の前に畑が広がる小さな平屋。
そこで母ちゃんと二人で暮らしていた。

パチパチという音と手もち花火のようなシューという火花が見えたと母ちゃんはそのあと言っていた。

ドン!という音と共に隣の家から火柱が立った。

そのあとのことはあまり覚えていなくて、早く逃げなさいと言われ外にでて、だんだんと隣の家から自分の家に火が移るのを「あーうー」という声にならない声を発して見ていた。

船のプラモデルが好きだったので、窓際に大和、武蔵、赤城、伊吹などの戦艦が並んでいたが、窓がパリンと割れる前にドロドロと溶けて行った。
それ以来プラモデルは作っていない。嫌いではないが、なんとなく。

消防車は来たが、道が細く、また給水場所が遠くなかなか放水ができなかった。
母ちゃんは狂ったように、早く水を撒いてくれと消防士に詰め寄っていた。
私は何もできずただただ燃える自分の家を見つめるだけだった。

無力感というか、そのあとどうすればよいのかを考えていたように思う。

おやじには結局その日も次の日も連絡がつかなかった。

私は友人の家にしばらく預かってもらうことになった。

次の日、黒焦げになった家の前で突っ立っていたらおやじが帰ってきた。

びっくりした顔をしていた。

私が覚えているのはそれだけ。おやじからなにか声はかけられなかったと思う。

母ちゃんは泣いていた。膝をついて泣いていた。

私は声をかけて欲しかったのだろうか?

おやじに声をかけて欲しかったのだろうか?

つづく。


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