第5回 「お魚サブスク」PJインタビュー(後編) ~ 「お魚サブスク」から広がる漁業の未来
前回の記事では、「デジマ式 plus」で長崎市が「漁業振興」をテーマに挙げ、その解決策を提示した6社の中から、「伊藤忠インタラクティブ」(以下IIC)と協力することになった経緯をお伝えした。
「デジマ式 plus」から始まったこのプロジェクトは、「おさかなサブスク」(※:急速冷凍した旬の魚の刺身をバラエティ豊かに取り揃えて定期的に個人宅に送るサブスクリプションサービス)という送る形で結実したが、今回はそこに至る紆余曲折や、「おさかなサブスク」から波及した現在のムーヴメントまでを記していこう。
「デジマ式 plus」で地域課題を解決したいと考えている地方自治体があれば、成功例のひとつとしてご参考いただきたい。
「おさかなサブスク」の進め方・進み方
このプロジェクトの長崎側の中心メンバーは、長崎市商工部、長崎県産業労働部、長崎市と「デジマ式 plus」を繋げた十八親和銀行 地域振興部の3者。
後々協力を仰ぐことになる地元企業や漁業関係者は、プロジェクト発足当初、あくまでもオブザーバーとして参加してもらい、プロジェクトの推移を見守ることに徹してもらったそうだ。
地方にチャンスを見出したい都市部の企業は増えてきている。とはいえ時流だからと下準備無しにいきなり地方に行っても、そういった企業がすんなり受け入れられるわけがない。やはり「余所者(よそもの)」として警戒されるのは道理だ。
だからファーストコンタクトは、その地域で信用のある団体が間に入らないと軋轢が生じる。その地域に根差したメディアや金融・行政機関に間に入ってもらい、やっと地元の人たちに警戒心を解いてもらえるのだ。
そういった背景があるので、お魚サブスクの場合も地元の人たちのプロジェクト参加のタイミングについては、かなり注意を払ったという。
「おさかなサブスク」もプロジェクトの中身が固まってきた段階で、参画できそうなことが出てきたら地元の人たちに手を挙げてもらい、実務ベースで徐々に協力してもらうことにした。あくまでも徐々に、だ。そこには、地元の人たちの大多数は個人事業主か零細企業なので、軽はずみにお願い事をしたことが本業を圧迫する事態を避けたいという配慮があったからだ。
そういった丁寧な対応の末、多くの関係者に見守られ、「おさかなサブスク」は誕生した。しかし、それはプロジェクトの始まりに過ぎず、「おさかなサブスク」関係者が見据える先はもっと高いところにある。
真の地域課題解決へ向けて
「デジマ式 plus」のコンセプトは、地域課題を解決するために官と民が協力することだ。長崎市のケースで言えば、「おさかなサブスク」を立ち上げることが目的ではなく、見据えるのは「長崎の漁業振興」である。
漁業の活性化、それに伴う漁業従事者の収入と地位向上、後継者の確保、と長崎の漁業が廃れないためのスキームの確立、これこそが最終到達点である。
「デジマ式 plus」の話を伺っている中、「マス(大衆)を狙わない」、という山田さんの言葉が印象に残る。そして「長崎の魚のファンを作りたい」とも。
たしかに予算を投じて色んなメディアに取り上げられることで、一時的に注目を集められるかもしれないが、流行の消費速度が速い現代において、あっという間に見向きもされなくなるだろう。その瞬間風速はたしかに成果と言えるかもしれないが、後には何も残らないというのでは意味が無い。最優先は、あくまでも漁業の持続可能性だ。
「おさかなサブスク」から起こった漁業振興の種火は、「Find Fish's Future Project」という形になり、長崎の漁業を支援したい人たちを巻き込んだムーヴメントに育っている。
2023年、長崎の橘湾等で大規模な赤潮被害が発生した。養殖魚に壊滅的な被害が出たが、それを少しでも補てんすべく、「Find Fish's Future Project」では「義援金付きのおさかなサブスク」を開始している。ある意味、クラウドファンディングのような支援策ともいえるが、リターンとして、漁業関係者とのオンライン交流会が行われた。
漁師・養殖業者が消費者と接する機会は多くないが、こういった機会を設けることで、漁師・養殖業者の意識向上に繋がるだろう。長崎の漁業を応援するファンが全国にいるとなれば、漁業を志す人も増えるかもしれない。
「おさかなサブスク」は継続率が高いという。魚好きの人だけではなく、食の安全を求める人、長崎の漁業振興に理解を示している人が応援の意味を込めて利用を続けているとのことで、徐々にではあるがファンは増えている。
「おさかなサブスク」を成功体験として
「おさかなサブスク」は冷凍した旬の魚の刺身を定期的に送るサービスだが、そこには色んな要素が詰まっている。今後の展望として山田さんは、これらの要素を切り分けて、他の産業にも応用できないか思案しているということだ。
奇しくも、筆者の祖父は長崎の漁師だった。すでに他界してしまったが、このようなムーヴメントを誇らしく感じているだろう。祖父に代わり、これからも長崎の漁業を見守っていきたいと思う。