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機織りの色を考え続けた日、エチオピアジャズのライブを色で感じた

草木染めと機織りに瞬く間に魅了され、自分の帯を織るというコースに申し込んだのが前回まで。

初めて染めて、初めて織った日


意気込んでオリエンテーションに臨んだその日は、草木染めの体験と帯の試し織りというメニューだった。

前回は豆桜を染めたけれど、2ヶ月経った今回は「枇杷の葉」。枇杷の実はオレンジだけど、葉はどんな色を出すのだろう?

用意していただいた染液は、こっくりした澄んだ赤色。これまた、ほぼ甘い香りが漂ってくる。

前回同様、真っ白な紬糸を浸して、泳がせて、絞って、外に出てぱんぱんを水気を飛ばし、それを繰り返す。色を定着させる焙煎液は、今回は私は灰汁の一色にした。淡いけれど可愛らしいピンク色に染まる。それでいて透明感と艶があり、水道の下に備えたバケツの中で水にくぐらせていくと、美しい髪のようだった。


さて、前回は小さなノートの表紙くらいの面積だったけれど、今回は帯である。着物の帯なんだから、とにかく長い。普段から身につけているものの、縫い目を解いた展開図はまだ想像がつかない。着物や浴衣は仕立ててみたけれど、帯はまだ仕立てたことがない。

丁寧に描かれた設計図を見るものの、実物が長すぎるであろうことを考えると、一歩想像が及ばない。これはもう、フィーリングでその場ごとの気持ちで色を選んで織っていけばよいかな、という気持ちが湧いてきた。

実際の帯を織るまで、1尺ほどの試し織り。どんな色を使いたいか、どんな植物の色を使って、どんな意味を持たせようか。考え始めると止まらない。

自分が染めた糸だけでなく、これまでにアトリエで染められてきた様々な糸も使って良いとのこと。絶妙に少しずつ違う色を見比べ、使いたい糸と並べて、組み合わせを考える。

ストライプの色が思い描いたのと違う雰囲気に...


ふんわりしたグラデーションや、いくつかの色を使ったストライプを試しに織ってみたけれど、糸だけを見て思い描いた雰囲気とは結構違う。それも、面積がおおきくなればなるほど、自分がアクセントに入れた、たった一本の横糸が、なんだかしっくりこない位置に堂々と鎮座していたりする。

本番の帯ではどうしよう。また絵心のない自分への不安が蘇ってきた。

そうこうしているうちに、布は1尺まで進んでいた。あっという間に1日がおわり。こんなに帯の構想も何もないままでスタートを切ってよいのだろうか?

そんな不安を抱えたまま、終えて向かったのは、立川。この日は、あるライブが見たくてチケットをとっていたのだ。

アーティストはMulatu Astatke。エチオピアジャズの生みの親と言われている人だ。私は大学時代、ジム・ジャームッシュ監督の『ブロークンフラワーズ』という映画のサントラでMulatuの音楽を知り、かれこれ15年以上聴き続けている。以下の予告の冒頭で流れているのがMulatuの曲。


なぜそんなに夢中になったかというと、どことなく日本のノスタルジックな音楽に似た雰囲気を感じたからだった。その理由は今もうまく言語化できない。でも、少し影のある、でも色気と元気もある不思議な曲調にハマってしまった。

一時期、東京と神奈川と沖縄の三拠点生活をしていたが、沖縄のムワッとする湿度と高い気温の中で、Mulatuを流しながらドライブをするのがずっと好きだった。

そんなMulatuも御年80歳。CDや配信でしか聴けないと思っていたのに、本人が来日して東京でライブをするらしい。(なぜかこの情報は、金沢で一人で飲んでいたら教えてもらった。)

まさか人生で、Mulatu Astatkeのライブを生で観れる日が来るなんて!それも、自分の帯を織り始める初日に。久しぶりに全く仕事から解放された1日だったこともあり、嬉々として立川へ向かった。


いざ、演奏を目の当たりにしたら、嬉しくて泣きそうになったり、踊らずにはいられなかったり。心の底から楽しんだ。

でも楽しみ方が、いつものライブとちょっと違う。この違和感はなんだろう?てっきり、15年越しの想いがこもっているからだと思っていたが、それとも違う。

よく考えてみると、ライブの前6時間ほど、私は草木染めや機織りをして、ずーっと「色」のことだけ考えていた。それも、自然の中からいただく色のことを。

無意識に、きっとどこかで私は帯にどんな色を使おうかとヒントを探していたのだと思う。聴こえてくる音色や余韻の響きを、私の脳が色で捉えようとしているみたいだった。

たとえば、Mulatuが奏でるヴィブラフォンは、甲高い音をポンと鳴らした後のほわんとした響き方や、他の音の「ほわん」とする響きとの重なりが本当に心地よかった。

この印象を機織りで表現するなら、私にとってはパキッとしたストライプではなく優しくじわっと広がるグラデーションだ。

透き通るようなピアノは、透明な水のようなイメージが浮かんだ。

せっかく念願のライブを観ている今日この1日が、自分の帯作りの初日であることを、何か形で残したい。そうか、このイメージを色で帯に織り込んでいけばいいのか!

後日、そのイメージで織った部分


浮かんだイメージを忘れないように頭に刻みながらも、再びライブに没頭していく。

会場ではみんなが立ち上がって踊っていたところから、しっとりとした曲に切り替わったタイミングがあった。Motherlandという曲だった。しかし音源で聴いていたのとは少しアレンジが違う。


なにか聴いたことのある曲に似ている。これ、なんだったっけ?大正琴の雰囲気?いや違うな。あ、瀧廉太郎の「荒城の月」だ。冒頭で使っていた音の音階が、どこか共通点を持っているように感じた。そう感じるのは私だけかもしれないけれど。

(と思って後日、日本的な雰囲気を感じた原因を知りたくて「荒城の月」のwikipediaを読んでみたら、この曲は日本で初めて作られた西洋音楽ということらしい。日本的な音階がどうとか思ったけど、ますますわからなくなってきた。理屈じゃなくて感覚で楽しんでいればまぁそれでいっか、という気持ちにもなった。)


エチオピアというと、鮮やかな原色を多く使うイメージがあったけれど、そこの音楽から得たインスピレーションは少し違ったし、音楽自体にも日本に通じる心地よさを感じた。そうか、きっと音楽が似るだけでなく、たとえば手法などは違うだろうけれど、草木染めで得られる色というのは、きっと地球の裏側でも同じように取り出せる色なのかもしれない。もしかしたら、近い色がエチオピアの植物にもあるかもしれない。Mulatuはどんな景色を見て育ったんだろう。そんなことを考えて音楽に没入するようになっていた。

これまで、音楽をこんな感じ方で浴びたことはあまりなかった。仕事でへとへとに疲れて、その疲れを吹き飛ばしたくて聴きに行ったライブもあるし、歌詞がグッと刺さるから、そのエネルギーをより強く感じたくて行ったライブもたくさんあった。

でも今回は、「色」がずっと頭から離れない。こんな感じ方でライブを楽しむのは初めてだった。

草木染めや機織りに向き合うことで広がる世界が、こんな方面にも待ち受けていたなんて。翌日に控えた帯(本番)を織ることが、楽しみで楽しみで仕方なくなった。

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