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「爆ぜる色彩」と見えない横顔
浦上想起の10曲目の「爆ぜる色彩」を一聴したときの体験は「いったいなんだこれは……?」というものだった。
個別の楽器の使い方や声の加工は浦上想起のスタイルとすぐに分かる。構成も把握できないほど難解というわけではない。
分からないのは、この曲の横顔だった。楽曲にはそれぞれの横顔がある。YOASOBIの「夜を駆ける」なら、印象的なサビからはじまり、リリカルで疾走する髪の長い女の横顔が、ヨルシカの「花に亡霊」なら、繰り返し問いかけ、夏の一瞬を思い返すような少女の横顔が。
「爆ぜる色彩」の横顔とはなんだろうか? このクエスチョンで曲を聴いてみよう。
「見たこともない 耳にしたこともない」からAメロは、「お前が耳にしたこともないわ」というツッコミを待つような、いきなり特徴的な半音づかいでゆらゆらと動くメロディから始まる。
「どこまで行っても〜」から始まるBメロは、息の長く、ゲーム音楽的に聴こえる。と、瞬時に、サビは、甘く夢見るようなメロディと、それとともに踊るようなピアノの生録音から始まり、ビッグ・バンド的に・電子音楽的に華やかに楽器たちが飛び回り、メロディに突き刺さる。間奏は、すばやく駆け上り下っていく急峻なメロディがいくつもの順行と逆行の山と谷を創り出す。ふたたびBメロからサビに流れ込む。
一聴したときはあっという間に、何か騙された気分すらして終わった。7回目くらいでだんだんとそれぞれのメロディの性格が見えてくる。
たとえば、「繰り出される 小狡いサブリミナル」の上昇と下降は思わず笑みが溢れるユーモアを感じる。そこから右耳に聴こえるへんな鳴き声みたいなギター。あるいは、序奏と後奏の出囃子のようなシンセ。Aメロは、空を見上げ、俯き、逡巡を繰り返す。Bメロは、暗がりをよじ登って行くような希望や意志を感じさせるメロディがずんずんと進んでいく。サビは一度目夢を見て、二回目、自信ありげに、しかし、サビ終わりではくるっと反転して忙しなくどこかに行ってしまう。
「爆ぜる色彩」の横顔は簡単には表情を見せてくれない。間奏や、うねるメロディによって表情は隠され、ちらっと見えたりみえなかったりする。
「爆ぜる色彩」の横顔は、次々と変化する表情そのものなのだ。さっそうと出囃子から出現し、逡巡し、希望し、意思し、夢を見て、自信を持ち、しかしどこかに行って、またどこかから顔を出す。だから、この曲はひとつの表情ではなく、様々な表情として聴き取られるべきなのだ。
そして最後の歌詞とともに歌われるメロディもまた完全な希望ではない。しかし、ほのかな光を感じさせるように終わる。最初と同じように幕はゆっくりと降りていく。
「爆ぜる色彩」の横顔はわたしたちの横顔にも似ているかもしれない。今の2021年のわたしたちの横顔に。これからどうなるのだろうか? と悩みながら、歌おう。
殻を捲り ”街”へ飛び出そう
「爆ぜる色彩」にわたしはわたしの横顔の鏡を見出したように思うのだ。
難波優輝(美学者・批評家)
追記、なぜドノフリオなんだろうか。