【連作短編集】東雲塔子の事件簿 木島香の困惑(3)
「そういえば、もう、怪我は良くなったの?」
先輩のその言葉で私の回想は途絶えた。目を向けると心配そうな顔が目に入ってくる。
「ええ。もう、大丈夫ですよ。ちょっと転んだだけですもん」
はた目から見たらかなり派手に転んで尻もちをついたように見えたのだろうが、暫くしたら痛みも引っ込んだ。病院に行くまでもないほどの怪我だ。
でも、先輩は大分心配してくれたようだった。靴がすっ飛んで行った場所までわざわざ取りに行ってくれたのだが、それを渡しに傍まで来てくれた時も大分取り乱していたようだった。
普段のおっとりした状態とは正反対の様子で……。
「それなら良かったけど。でも、意外だったな。普段落ち着いているカオちゃんがあんな勢いよく転ぶなんてさ」
「下がちょっと濡れてたんですよね。それが頭に入ってなかったんですよ」
そう、棚の整理をする前に私たちは床に濡れ雑巾を掛けていた。それも乾いていると油断していたのも悪かったのかもしれない。結果つるんと足を滑らせてしまったわけだ。
「ひょっとしたら、ボクが雑巾を掛けた個所かも知れない。あまり絞ってなかったような気もするし」
先輩は自分が脚立を揺らしたことに負い目を感じていた様だ。その上床が濡れて滑りやすくなったのも自分のせいだと想い至ったらしく顔に陰が差したように見えた。
「別にそんな事気にする事ないですよ。水拭きしたら濡れるのは当たり前でしょ。それを頭に入れてなかった私も悪いんです。もう、気にしないでください。これでこの話は、おしまい。ね?」
あまね先輩は日頃、能天気な様子を見せているが、一度落ち込むと深く沈んでしまうタイプでもあるらしい。この話題を続けると図らずも傷つけてしまいかねない。だから、もうこの話は止める方がいいのだ。という意味を込めてこの話の終わりを告げた。
決して、盛大にすっころんで露わな姿でしりもちをついた事を蒸し返されたい訳ではないぞ。これは念のため。
「うん。そうだね……」
先輩の返事が終わったと同時くらいに。
「あの、すみません。お願いします」
いつの間にやら女子生徒が受付へやって来て数冊の本を受付へ持ってきた。
「はーい。えっと、返却三冊ですね」
私は言ってバーコードをスキャンして管理端末に目を向けた。と同時に、
「すみません」
今度は男子生徒が声を掛けてくる。こちらは貸出し希望らしく先輩が対応した。
その後はいつもより多めに人がとっかえひっかえやってくる。
二十分くらいで漸く人の流れが途絶えた。
「珍しかったね。この時間にこんな人が集まるなんてさ」
「そうですね。でも、利用者が沢山来るのは良い事ですよ。本が汚されなければですけど」
私は言いながら返却されてきた本に目を通していく。
「はははは。それ、やっぱりカオちゃんは許せないのかな」
「うーん。許せないって程ではないですけど、やっぱり綺麗に使って欲しいですよね」
「あれ? でもさ、ノッコから聞いたよ。本を汚す人は許せないってカオちゃんが言ってたって」
「え? ああ……それって、あの話の事かな」
ノッコというのは勿論あだな。本名は宮田典子という。あまね先輩と同じ学年の女子生徒で彼女も図書委員だった。そのノッコ先輩から以前好きな男の子のタイプなどというものを聞かれた事がある。
私は正直今はそういう事に思考があまり向かないので「特にない」と答えたのだが、それがノッコ先輩にはおきにめさなかったようで、
『じゃあさ、逆に嫌いなタイプとかはどうよ』
などと更に追及を受けた。
で、それをかわす為に『そうですね。本を汚さない人とかかな』と適当に答えたことがあったのだ。
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