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拾得

京都の老舗ライブハウス「拾得」です。
日本のライブハウス第一号。

ひっそりとシャド子が待っていてくれます。


命名はまさに寒山拾得から・・。
手書きの看板がもう50年ぶら下がってます。
popoさんのnoteとの偶然のシンクロが不思議。






以下、京都ハンケイ新聞からの紹介記事。旨く纏まってるので私が紹介するより分かり易いです。



「拾得は好きなことをする小屋です。 やりたい音楽で人気が出たらいいね」

京都の音楽カルチャーを支える、ライブハウス。

Coffee House 拾得 店長 テリー

この樽椅子・・、淵の部分が太腿の血管を圧迫して100%痺れる。笑(dodo感想)

■音楽が好き、ってだけです

京都の音楽好きなら、その名を知らぬ者はいないだろう。京都を代表するライブハウスのひとつ、拾得(じっとく)。アマチュアからビッグアーティストまで、今夜も誰かがステージでシャウトしている。1973年にこの場をつくったのは、テリーさん。カウンターで見かける、キャップを目深にかぶったあの人だ。


二階が楽屋です。


■父親の退職金を材料費に 仲間たちと手づくり

「卒業したときの高校は、福岡市だった」と振り返るテリーさんは、親の都合で小学校から高校まで、九州中で引っ越しを重ねた。「あいつ、ギター弾けるんだって」は転校生にとって、すぐに友達ができる魔法の言葉だ。高1でビートルズのコピーバンドに参加した。

立命館大学へ進学したが、時代は全共闘まっさかり。「付和雷同でデモに行って」卒業直前で中退する。当時、同棲していた彼女は、今も変わらぬ最愛の妻だ。

大学時代は3年間、ジャズ喫茶「シャンクレール」でバイトした。「村八分(むらはちぶ)」のチャー坊(柴田和志さん)、「裸のラリーズ」の水谷孝さん、フォークシンガーの高田渡さん。時代をリードしたカリスマたちがつながる場だった。

20歳の頃、下鴨にあったロック喫茶「マップ」に出入りしていた。夜はステージで歌っていたが、数か月休んだら、歌のうまい男にその座を取られ、泣きながら帰った。マスター曰く「お前と違って、音楽で食っていこうとしている奴」は仲間になった。シンガーソングライターの豊田勇造さんだ。

22歳で自分の店「賁(ふん)」を経て、拾得の創業時には豊田さんたち仲間が集まった。父親の退職金200万円を材料費にして、テリーさんと7人の仲間たちは無償で壁を塗り、ステージをつくり、樽の蓋をテーブルにして、酒蔵(さかぐら)をライブハウスに改造した。欲しかったのは「音楽をする人のための遊園地」。1973年、テリーさんが24歳のときだ。■好きなのは英語の歌 そして女性とオートバイ・・。

近年、ミュージシャンの登竜門として拾得は語られがちだが、テリーさんはまったくその意識はないと話す。実際、ビッグネームの固有名詞は、テリーさんの口からはついぞ出てこない。

「拾得は好きなことをする小屋です。その人が自分でやりたいことをやっていたらそれでいい。自分がやりたい音楽で人気が出たらいいね」。

拾得にいるとJ-POPの最先端と付き合うけれど、テリーさんが一番好きなのは英語の歌だ。家にいるときはギターを起きてから寝るまで手放さず、爪弾く。

「音楽が好き、ってだけです。でもね、音楽は人生を彩るほんの一部。女性もオートバイも好きだよ」。

この力の抜け具合、もしかしたらテリーさんは音楽の神様から寵愛(ちょうあい)を受けているのかもしれない。音楽好きの誰もが、テリーさんの拾得では公平に扱われる。

(2019年3月10日発行ハンケイ500m vol.48掲載)


拾得の入り口は酒蔵のまま。バイクはテリーさんの・・。

京都市上京区大宮通下立売下る菱屋町815

▽TEL:0758411691

▽営業時間:17時半~24時(ライブ時間19時~21時)


テリーさんは今でもバリバリに卓(コンソールミキサー)を操ります。
その味付けは完璧!





京都の楽しみ方って、きっと無限にあるんだろうな・・。


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