パーフェクトデイズ?
数日前、Unextでこの映画を観た。
昨年公開されてから結構な人気で、視聴のレビューは総じて好評だったので期待して観たのだが・・・。
正直、パッとしない映画。
立派な原作があって、立派な脚本が練られた映画ではないので、私には忖度と自己満足に終始した映像にしか観えませんでした。
この映画に高評価を付けるコメンターはどれも似たような事を言い、何だかそう評価するのがトレンドみたいな、無理やりのこじ付け的高評価がドッサリ見受けられますが・・。
カンヌでの役所さんの男優賞の受賞は大いに納得でなんですが、この作品への純粋な評価はどうなんだい?と言いたい。そこが聴こえてこない・・。
電通の社員高崎卓馬がシナリオを全て書いているが、彼は、
企画書も書かずに純粋に作りたいものを自由に作れた!
と言って大喜びしてるんだそうな・・。
なるほどなである。
監督が役者を選んで起用していないのは明白で、役者と全然血が通っていない感が全編に漂っているし、ヴィム・ベンダースが石川さゆりに「朝日のあたる家」を歌わせた事への違和感とか、意味の無い演出だらけだったけど、
全て 高崎卓馬 が演出していたのかと思うと納得だ。
もう「都会のアリス」風の雰囲気を(風景を写真に撮るとか・・) 醸すことくらいしか、ベンダースの匂いは感じない。
この映画は間違いなくベンダースが撮りたい映画では無く、高崎が作りたかった映画だろう。
たった4秒の猫を撫でるシーンにも俺はこんなに繊細に気を遣っているのだ、的な嫌らしさが・・。
そして、出て来る役者さん達もその尺の短さ故か、演技に変な力みがあって、不自然な演技ばかりと言うか無駄な動きをしてしまっている・・。
何だか、時代劇の大部屋俳優が、切られると必ずカメラを向いて倒れる的な、僅かな出番に命を懸ける・・みたいな。
ヴィム・ベンダースと言う神輿を担ぐ意味はどこにあるのだろう・・?
賞を取るための箔付けなのか?
高崎卓馬は2009年に「ホノカアボーイ(倍賞千恵子主演)」の脚本を手掛けているが、それは実に素敵な映画だっただけに残念。
今回プロデューサーと言う権力を手に入れて、スポンサーからも好きにやっていいと完全に映画を自分の物としてしまうと、手綱の切れた馬になってしまったのか・・。
柳井さん(ファストリテーリング)の後ろ盾で製作されたのはいいが、もう少ししっかりとポリシーを持った作品にして欲しかった。
もっと本質的な事言うと、高名な監督と主役さえ揃えたら、ストーリーや脚本が無くても、後は金持ちのバックアップさえあれば、この程度の映画は出来てしまうと言う良い例なのだと思う。
王様の耳はロバの耳。
王様の周りで王を褒めちぎる取り巻きや民衆が、
ある日小さな子供が「王様の耳はロバの耳っしょ!」と真実を言う。
こんな稚拙な例えを言いたくなかったけど、そんな思いにさせてくれた映画でした。
皆さんご反論がドッサリおありでしょうが、これは素直に感じた私の思いなので、ごめんなさいです。
言い過ぎたかな・・。