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KOUのプロレス史研究 完全版① 手代木禎二

約2ヶ月前の1月5日に、手代木禎二(プロフェッサー・ヘリー)というレスラーについての記事を書いたかと思います。
もし、ご覧になられていない方がいましたら、下のURLからどうぞ。

それから約2ヶ月たって、色々あり、前紹介したドン菅井についての追調査をしている過程で、手代木についての新たな情報もいくつか見つかりました。なので、新情報を皆さんと共有したいと考え、この記事を書いております。
記事の題名には完全版と書いておりますが、現時点での完全版であると、最初にお断りしておきます。また、調査の過程で新たな情報が見つかれば、この記事に補足していきます。
あと、この記事はまあまあ長いです笑。

⚠️この記事にはインターネット上には無い、埋もれた情報(新情報)が含まれています。引用・参考にする場合は私のXのDMかこの記事のコメント欄にて事前の連絡をお願い致します。

1. ジョセフ・スヴィンス氏からの情報

皆さんは、ジョセフ・スヴィンス(Joseph Svinth)氏を知っておられるでしょうか。多分、私のような戦前プロレス史を研究している方や、柔術・柔道の歴史を研究している方なら知っておられるかもしれません。かくいう私も記事を読んだことがあるくらいしか知りませんでした…
知らない方が多いと思いますので、簡単な紹介をさせていただきます。
ジョセフ氏は、武道やプロレス、ボクシングなどの研究者であられます。自身の著書もあり、Amazonでも購入することもできます。
著書のAmazonのレビュー欄に、ジョセフ氏の経歴についてコメントをされている方がいましたので、その文章を引用させていただきます。

Joseph R. Svinth is editor of the Electronic Journals of Martial Arts and Sciences, a publication he started in 1999. He served in both the United States Marine Corps and Army National Guard. He earned a bachelor’s degree in history from Western Washington University, and a master’s degree in history from the University of Washington.

ジョセフ・R・スヴィンスは1999年に創刊したElectronic Journals of Martial Arts and Sciencesの編集者。米国海兵隊と陸軍州兵隊に所属。ウェスタン・ワシントン大学で歴史学の学士号、ワシントン大学で歴史学の修士号を取得。

Martial Arts in the Modern Worldのレビューより

ジョセフ氏のサイトがありますので、これも紹介させていただきます。また、Google Scholarにもジョセフ氏の論文があります。気になった方は是非ご覧になられて下さい。

↑こちらのサイトです。

このジョセフ・スヴィンス氏との出会いは、次回のドン菅井についての記事で紹介します。
色々あって、ジョセフ氏とコンタクトをとった私は、手代木禎二(プロフェッサー・ヘリー)についての情報をお持ちではないか質問させていただきました。しばらくして返信がありました。
メールには、ジョセフ氏が調査された戦前レスラーの活躍した地域と手代木が活躍した地域が違うようで、聞いたことがないとのこと。
ですが、親切なジョセフ氏が手代木についての情報を教えて下さいました。
それが下のサイトです。

以上に長いサイトなので、Teshirogi(手代木)という言葉を探すのに凄く時間がかかりそうですが、これまた親切なジョセフ氏が日にちまでメールに載せて下さいました。
このサイトには、1938年12月27日にユタ州のマウント・プレザント、アーモリーで、手代木禎二(プロフェッサー手代木との表記)がハイ・シャーマンと対戦した、と紹介されています。
ユタ州といえば、手代木の出身大学があります。
また、ジョセフ氏曰く、

ユタ州マウント・プレザントは当時の人口が約2000人で、この地方最大の都市だった。

とのこと。
うーむ…🤔困りました。
ジョセフ氏を以ってしても、手代木の情報は少ないですね。一応、私なりに手代木の試合情報を探してみましたが、ありませんでした💦
なので、読者の皆様からの情報提供を開始します。試合情報だけでなく、手代木に関する情報なら何でも構いません!
この記事のコメント欄か、X(旧Twitter)のDM・コメント欄にてお願いします。

2.出身大学について


前回の記事に、上の写真を載せています。
私は、前回の記事で、手代木の出身大学について、ユタ州の大学ではあるが、大学名が確定しない。知恵袋の情報から、ユタ州立大学農業応用科学部(Utah State University College of Agriculture and Applied Sciences)ではないか、としています。
ですが、ジョセフ氏とのメールの後に手代木についての追調査を行い、出身大学についての情報を見つけることができました!
まずは、下のサイトをご覧下さい!

1つ目のURLの文章はもの凄く長いです💦
手代木についての記述があったのは、頁256です。
どちらも1925年(1924年度)の卒業式についてのものです。
1つ目のものは、Agricultural College of Utah(ユタ農業大学)としてあります。その理由は、ユタ州立大学(Utah State University)が、1957年までユタ農業大学だったからです。
また、1枚目の写真に"USU Catalogs 1925-26"という文字が見えます。USUというのは、ユタ州立大学の略称です。

内容について詳しく見てみます。
私の予想した通り、ユタ農業大学(今のユタ州立大学)で農学について学び、学位(理学士で農学についての)を取得したようです。前述しましたが、ユタ州立大学には、農業応用科学部(Utah State University College of
Agriculture and Applied Sciences)
という学部が今でもあります。

また、1つ目のURLの頁255には、Graduate Division(大学院部門)という言葉があり、もしかしたら手代木の学位は、学士(理学士)ではなく、博士なのかもしれません。
アメリカでも博士号があれば、大学の教授になれるようなので、リングネームのプロフェッサー(教授)の由来は、博士号を持っていたからなのかも!
そして、Hoji Shinbun Digital Collection(邦字新聞デジタルコレクション)で、Professor Teshirogiと調べると、閲覧不可の新聞もあり、見れたのは4つだけでしたが、プロレスでの手代木の記事ではなく、農学での手代木の記事だけでした。

これらの情報から…

手代木禎二は、ユタ農学大学(現在のユタ州立大学)出身で、理学士(農学)を取得した。リングネームの由来は、学士ではなく、大学院で博士の称号を取得したからではないか

というのが現時点での結論です。リングネームについてはあくまで憶測です。他にも手代木の大学での情報をお持ちの方は、教えて下さると嬉しいです。

3.娘について

先ほども述べましたが、私は手代木について追調査をしました。上記の出身大学についての情報もありましたが、他にもありました。
それは、手代木の娘についてです!
Hoji Shinbun Digital Collection(邦字新聞デジタルコレクション)で、Teiji Teshirogiと調べると、下の新聞のみ出てきました。

ハワイ・タイムズ 1950年12月9月号で、手代木禎二の娘である、Betty Akiko Teshirogi(ベティ・アキコ・テシロギ)が、George Joji Akita(ジョージ・ジョウジ・アキタ)との結婚式を、12月2日にNuuanu Congregational church(ヌウアヌ教会)で挙行したとのこと。
ちなみに、この記事には、手代木禎二の妻の名前が出てきます。名前は、Hama-ko Teshirogi(手代木浜子?)で、その前にlateとあるので、1950年12月の時点では、すでにお亡くなりになられているようです。
また、下のサイトにも、娘のAkiko氏についての情報があります。

ここで、二つの情報からAkita(秋田)・Teshirogi(手代木)夫妻についてまとめてみます。

Akiko  
①手代木禎二と手代木浜子の娘
②東京出身と思われ、東京在住だった。
③日本で教育を受ける。
 東洋女学院(多分東洋音楽学校ピアノ科)出身

Akiko

Akita(秋田)
①ファリントン高校を卒業し、1950年時点でハ
 ワイ大学に在学中
②秋田重吉夫妻の息子で、通りに住んでいる
③ハワイ大学行政学部の4年生で、大学や地域社
 会の問題に積極的に取り組んでいる
④最年少で憲法制定大会に立候補した。
 また、ウオレス・ライダー・ファリントン・ス 
 カラシップの元ホルダーであり、いくつかの弁
 論大会の優勝者でもある
⑤兄は医者の秋田肇(漢字は合っているか分かり
 ません)

二人の出会いは、1947年に占領軍として日本に駐留していた時(夫秋田が陸軍文官検閲支局に勤務していた)だそうで、東京で出会ったようです。結婚後、妻のAkikoは、改姓し、Akiko Akitaとなったようです。多分、アメリカ在住だと思います。
名前ぐらいなら、下のサイトにも登場します。

このサイトを見ていないので、よく分からないですが、娘Akiko Akitaの寄付によって本の出版ができたようです。しかも、その寄付は、父 手代木禎二を偲んでのものであったとのこと。
また、レイ(誰?)の恩師である夫 George Akita(ジョージ・アキタ)にも感謝しているらしいです。よく読んでいないので分かりません😅

以上が娘Akikoについてです!
他にも何か知っているという方は是非情報を教えて下さい!

4.最後に

これが手代木禎二の追調査で分かった情報です。書くことが多くて、文字数は、4500字を超えてます…
ちなみに、私はこの記事を5時間ぐらいかけて書きました🤣
ここまで時間をかけたのは初めてです笑。

手代木禎二のプロレスでの情報はほとんどありませんでしたが、色々な情報が見つかり、私的にはある程度満足しています。
ですが、またまだ情報が欲しいです!
何度も書いてますが、手代木禎二(プロフェッサー・ヘリー)について情報がある方は、この記事のコメント欄か、X(旧Twitter)のDM・コメントにて情報を教えて下さると嬉しいです!
また、追記する情報がありましたら、その都度記載していきます。

ためになった、参考になったという方は、いいねをお願いします🤲
あと、他の記事も読んで下さると嬉しいです!
次は、完全版 ドン菅井についての記事を書く予定です。
長文でしたが、ここまで読んで下さりありがとうございました。
では、また次の記事で。

5.追記


3月4日

ある方から、手代木が青森県出身ではなく、福島県出身なのではないかという情報を頂きました。
ですが、そのことが記載されている本に載っている、手代木の生年と、日本プロレス風雲録に載っている、手代木の生年が違うので、調査中です。
他にも、月刊ゴング 1972年4月号には岩手県出身との記載がありました。
なので、手代木の出身地は福島県(青森県、岩手県出身としている書籍・雑誌もあり)にしておきます。
何か分かり次第、載せていきます。

その方が書かれた新聞記事(福島民報、戦前の県出身レスラー、2024年6月3日)です。
是非ご覧になられて下さい。

6月1日

X(旧Twitter)で手代木に関する情報を教えて頂きました。ありがとうございます!
その方の情報によると、手代木に関する記事が、週刊実話特報という週刊誌の1961年8月17日号にあるようで、当該記事の内容まで写真で教えて下さいました。
その写真が下の写真です。その方のご厚意で教えて頂いた情報(写真)の為、商用・無断使用は厳禁です。

力道山とも握手してますね❗️
内容を見ると、ここでも盛岡農林出身とされています💦
まぁ、これについては置いておきます。
他にも興味深い内容ばかり。
本当にありがとうございます❗️

まだまだ手代木については謎が多いので、私の持つ情報や、教えて頂いたこの情報を元にもう少し調べてみます。
分かり次第、この記事に追加していきます。

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