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プロレス黎明期の知られざる団体たち

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今回の記事も番外編です。

前回、東亜プロレスというプロレス黎明期の団体を調べました。
しかし、まだまだ黎明期に活躍した団体は存在します。
今回の記事では、東亜プロレス以外の、プロレス黎明期の団体を4つ紹介致します(今回の記事も資料の数はあまり数は多くありません…)。

日本プロレスリング協会(旧)

元祖日本プロレス。職業レスリング協会や日本職業レスリング協会(連盟)とも呼ばれる。
1937年に設立され、日本で3番目のプロレス興行を行った(最初は1887年の浜田庄吉『欧米大相撲』、2番目は1928年のタロー三宅の『大日本レッスリング普及会』)。

この団体のメンバーは下の通り。

会長・監督 山崎信雄
(1910年、神奈川県で生まれる。上野で映画館を経営しながら、同団体の会長・監督を務める。また、柔道五段で「プロフェッショナル・レスリングの見方」と題した本も書いていた)

コーチ 鈴木栄太郎(英太郎)
(1899年4月20日に静岡県で生まれたとされる。柔道三段で、レスリングは1925年から始めた。渡米後、コロンビア大学に入学。商業教育を専攻し、ニューヨークの日本アスレチック・クラブ所属した。32年のロサンゼルスオリンピックのレスリング競技 フリースタイル ウェルター級に出場。帰国後、同団体に関わる。79年5月に死去)

相談役 萩野貞行

(1901年1月11日に現在の群馬県富岡市である、甘楽郡富岡町で生まれる。立教大在学中の22年に日本拳闘倶楽部に入る。同年には初代日本ジュニアフェザー級チャンピオンとなる。16年には、現在の帝拳ジムである、帝国拳闘協会拳道社を設立。指導者として、多くの選手を育てた。79年10月4日に死去)

選手 加瀬清
(1903年に神奈川県で生まれたとされる。立教大学出身で、柔道六段。31年の全日本柔道選手権大会 一般の部 20~29歳以下の部で2位。32年には、ロサンゼルスオリンピックのレスリング競技 グレコローマンスタイル フェザー級に出場。初戦に勝利するも、その後2戦2敗で敗退。37年に同団体でプロレスデビュー。広義的にはアマレス初のプロレスラーだ)

   住吉六段(詳細不明、おそらく柔道家)


ちなみに、鈴木栄太郎(英太郎)は明治大学出身ともされ、タロー三宅や沖識名と交流があったようだ。

この団体は、前年に来日した、“カーネーション”ルー・ダローの協力があったと言われているが、試合のレベルは低かった。
ルールも少なく、自ら編み出したようなもので、選手は柔道家がほとんどだった。
1937年に第1回の試合を行って以来、10回程度の試合をしただけで僅か2、3年で消滅した(しかし、塩見俊一氏によると、9月29日に洲崎大東京球場、10月13日にボクシングならびにスポーツ映画との合同で後楽園スタジアムにて行われた記録しか残っていないようだ。すぐに消滅した可能性が高いと思われる)。
この背景には、講道館の昇段停止と、アマチュア資格の失効があったようだ。

東和プロレス

1956年2月に、北畑兼高(北畠義高)が東亜プロレスから離脱し、大阪で設立。
レフェリーは北畑が務めており、空手の大山猛(極真空手の大山倍達と似ているが…)という人物が選手として所属していた。

大元の団体である、東亜プロレスについては紹介を省きます。詳しくは、下の記事をご覧下さい。

会長には、当時兵庫県芦屋市の前市長だった、猿丸吉左衛門氏が就任。
この猿丸氏もなかなか経歴が面白いので、簡単に紹介します。

1903年2月4日、兵庫県芦屋市で生まれる。
同志社大学法学部卒。
名前の吉左衛門は世襲制で、初名は吉雄。
猿丸大夫の末裔ともされ、スポーツに万能だった。陸上競技では砲丸投げ、ハンマー投げで日本記録をつくり、相撲では学生横綱となった。
他にも、ラグビーや柔道(四段)などでも活躍した。戦後は地元で市長、兵庫県議会議員を務めた。

北畑兼高(北畠義高)との繋がりだが、北畑も柔道の経験者なので、その関係なのか?

この猿丸氏が後ろ盾となって設立された東和プロレスだったが、兵庫県体育協会会長の肩書きを持つ猿丸氏が、プロ団体の役員の肩書きを持つと、アマチュア資格を失うと日本体育協会から警告があり、猿丸氏は辞任。

この影響かどうかは不明だが、東和プロレスは1956年中に消滅した(同年10月時点でほぼ解散状態だった)。北畑も翌年に死去した。

新日本プロレス(旧)

元祖新日本プロレスである。
1955年〜56年に、戸田兄弟(武雄、和雄。親子とも)と立ノ海松喜を中心に設立される。

ここで上記の3人について簡単に説明します。

戸田武雄

(1913年7月15日に北海道三笠町で生まれる。柔道六段。北海道柔道選手権大会で数回優勝し、全日本選手権大会にも北海道代表として出場したようだ。木村政彦の全日本プロ柔道家協会や柔拳の出身だともされる。山口利夫の全日本プロレス協会を経て国際プロレス団の旗揚げに参加。55年に離脱し、東京で新日本プロレスを旗揚げした)

戸田和雄

(1931年5月13日に北海道で生まれる。戸田武雄の弟または息子。柔道六段で大相撲出身。大相撲は出羽海部屋に所属し、四股名はニッ岩和雄。52
年5月場所が初土俵で、55年1月場所が最終場所。最高位は幕下18枚目。国際プロレス団出身との情報もあるが、時期的に見て正しくない)

立ノ海松喜

(1913年4月26日に岐阜県または高知県で生まれる。本名 森田松喜。大相撲出身。立浪部屋に所属し、最高位は幕下29枚目。怪我で廃業後、戸田同様、全日本プロレス協会を経て国際プロレス団旗揚げに参加。同団体で代表も務めた。プロレス転向と同時に岐阜県相撲連盟の師範として、後進の指導もしていた。55年に離脱し、東京の新日本プロレスの旗揚げに参加。その後、戸田たちとは別れ、57年に北海道で北日本プロレスを旗揚げした。柔道五段でもある)

ほとんど活動していないという情報があるが、これは部分的に間違い。1956年の正月に九州興行を行い、ある程度の成功をおさめたようだ。

この新日本プロレスに関する記述が、プロレス 1956年5月号に記載されているため一部引用します(頁35〜39『春から秋へ 国際大試合 座談会』、出席者 永田貞雄、工藤雷介、東富士欽壹、小島貞二、原文のまま)

         (中略)

小島 なる程、今いわれた五つの団体というのは・・・。

工藤 東京が、今の日本プロ・レス協会と戸田君のやってる新日本、これはこしらえる前に、いろいろと問題があるので、だから新日本プロが去年ライセンスを請求してきた時のメンバーから相当かわっているわけです。戸田君のセガレとか、その他四、五人はいるんですけれども、一応使えるというのは、三人ぐらいで、協会といいながら非力です。非力ですが真面目なことは真面目です。はっきりとした目的をもって小さいところから立上ろうということを考えているようです。

工藤雷介氏
小島貞二氏

上記の通り、プロレスへの熱はあったようだが、日本プロレスリング・コミッションから公認を貰えず、1957年中には消滅したと見られる(56年10月時点でほぼ解散状態だった)。
資金的な問題や大会の動員問題などによっての消滅なのか…?
その後、戸田兄弟(親子)と別れた、立ノ海が57年に北海道で北日本プロレスを旗揚げ。
戸田兄弟のその後は不明。

北日本プロレス

戸田兄弟(親子)と別れた、立ノ海松喜が1957年に白老町で北日本プロレスを設立。
アイヌ人レスラーを養成して興行をしていた。
所属選手はアイヌ人レスラーの3人と立ノ海のみだった。

戸田兄弟の新日本プロレス同様、北日本プロレスも日本プロレスリング・コミッションから公認を貰えなかった。
また、一般的な『アイヌ・プロレス』は、この北日本プロレスを指すと思われる(サーカス由来のいわゆる『アイヌ・プロレス』は、北日本プロレスとは全く流れが違うので、別団体だろう)。
1957〜58年頃に北日本プロレスは消滅したと見られる。

最後に

どうでしたか?
プロレス黎明期の4団体についてまとめてみました。これらの団体については、資料によって様々な情報があるので、インターネット上には無い埋もれた情報をお持ちの方は、この記事のコメント欄か私のX(旧Twitter)のDMにて教えて下さると嬉しいです。
ここまでご覧頂きありがとうございました。
では、また次の記事で。


参考文献(書籍・サイト)

書籍・論文
・プロレス
・プロレス&ボクシング 増刊
・木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか
・プロレス オール強豪名鑑 日本編
・日本プロレス風雲録
・日本プロレス70年史 昭和編
・日本プロレス全史
・1954 史論―日出ずる国のプロレス
・Gスピリッツ vol.67
・国民奉公録聖戦記念(1942年発行)
・塩見俊一氏の論文

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サイト
・ミック博士の昭和プロレス研究室

・Olympedia

・コトバンク

・ウィキペディア

・芦屋市公式ホームページ

・大相撲.jp

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