フランスの政治や社会について思うこと その2:年金改革
やっと仕事が落ち着いたので、今フランスで最も熱い話題、年金改革に言及しようと思うのだけれど、ツッコミどころがあまりにも多くてどこから手をつけていいやら…
まず年金改革は現在の62歳定年から64歳に引き上げるというのが主軸。これは財政難対策としてマクロン大統領が初当選した2017年から掲げている政策の柱だったが、前任期はイエローベスト運動(富裕税の廃止と燃料税の引き上げで国民の怒りを買ったことによる騒動)とコロナ禍に終始。このリベンジとして、今任期は何がなんでもやることはわかりきっていた。再選のためにマクロン大統領は年金改革に柔軟性を示すようなことも仄めかしていたが、これは政治家ならではの「言葉の綾」。これを本気にして国民が投票したとは思えないし、投票率は歴代ワースト2。初当選の時には国民は確かに新大統領と今後の政治に夢を持っていたが、5年後にはその夢は裏切られ、期待しても何も変わらないから投票しないという人が増えた印象だ。
とにかく2022年、マクロン大統領は再選を果たし、フランス共和国の大統領は連続2期までしか務められないという憲法により、これが最後(厳密にはロシアのように1期休んでまた立候補できるらしい)。さて、今任期もスタートからインフレという厄介な問題に苛まれた。エネルギーの高騰で国民は不満を抱え、賃上げを要求してストやデモが横行。これに対処しつつ、政府は年金改革案を進めてきたが、目下の問題であるインフレに気を取られていた労働組合と国民が年金改革法案への反対運動を表面化させたのは今年に入ってからだった。
ちなみにストをすると、その分働かないわけだから給料が減る。有給を申請したらストにならない。例えば鉄道職員がみんなで一気に休むから痛手なのであって、みんなで有給を申請しても許可は下りない。デモに参加する分には有給は取れるかもしれないが、すでにインフレ抗議運動で給料や有給が減っている中で、今年に入って年金改革法案への反対デモ&ストが行われるようになっても、今までの続きのようにダラダラとした印象しかなく、少なくともパリ地方の交通機関を使って通学しているうちの子どもたちは困ることなく学校に通えていた。最近になってパリ市のごみ収集業者の従業員らが処理場内をロックアウトしたことで、パリ中の収集はストップ。ゴミが街中に山積みになり、ネズミが大量発生。首都の衛生状態が危惧されるようになったのがいちばんのビッグニュースだった。
大統領選後に行われた国民議会(日本の衆議院に相当)議員選挙でそれまでの過半数を維持できなかった与党再生党(Renaissance/ルネッサンス:中道派)は他の政党、とりわけ共和党(Les Républicains/レ・レピュブリカン:保守派)と合意する必要に迫られた。が、元大統領サルコジ氏により結成され、かつては社会党とともに2大政党として君臨したこの共和党、今現在占める国民議会の議席は577席中わずか61席。ついでに党内でさえ意見がまとまらず、各自が好き勝手な方向を向いていた。先週になって元老院(参議院に相当)で法案が可決され、いよいよ国民議会で投票される間際になっても過半数が得られるか微妙な状態の中、共和党議員をひとりひとり説得しろと、大統領から閣僚に指示が出た。結局当日の3月16日(木)になっても可決される保証がないため、大統領は憲法49.3条というジョーカーを切った。この49.3条とは議会を通すことなく法案を可決できる魔法の杖で、これに対して野党は政府不信任案を提出でき、議会で過半数を得られれば法案は棄却、政府は解任となる。
この49. 3条施行に野党全体が民主主義の冒涜と猛烈に抗議し、もちろん不信任案を提出。国民も怒りを露わにし、パリでは国民議会前に人々が集結。各地で無許可の抗議集会(デモには管轄機関の許可が必要)や治安部隊との衝突へと発展した。翌週月曜に不信任案は過半数に9票足りずに否決。年金改革案の可決が正当化された。野党はそこで49.3条の無効を憲法院に訴える予定。客観的に見れば結局は投票するのだから、実質的には通常の投票で法案可決となんら変わりない民主主義的行為なのだが、議員も国民も49.3条を理解していないのだろうか?
政府が説明義務を怠ってきた感はもちろん否めない。まずは国民に改革の必要性を理解させなければならないのに、彼らは自分たちの知能だけで法案を進め、自分たちの言語の中に閉じこもっているように見えた。国民と同じ言葉で国民が理解できるように説明するのはさほど難しいことではないのではなかろうか?フランス人はドイツと共にヨーロッパのリーダーを自負しているが、実はドイツの方が格上で、スペインやイタリアはずっと格下という意識がある。これを利用し、簡単な数字を並べて国民の言葉で説明すればわかりやすい。重要なのは必要最小限の情報を提示することだ。超エリートと凡人ではキャッチできる情報量が全然違うのだから。
公債(国内総生産比):
ドイツ:69%
フランス:113%
スペイン:120%
イタリア:156%
ギリシャ:206%
法定定年:
ドイツ:65歳10ヶ月
フランス:62歳
スペイン:66歳2ヶ月
イタリア:67歳
公債率だけで「え?スペインとほぼ同じなの?ヤバくない?」という意識が生まれ、各国の定年を見て現改革法案もひとつの選択肢と認識できるのではないだろうか。
次に物事を押し付けられると拒否反応を示すのは、人種や国民性に関わらず誰しも持ち合わせているものなので、「定年引き上げの方がマシ」と思うような代替案を用意する。まあフランス人はバカンス命だからここを狙うと的を得やすいだろう。例えば法定休暇5週間を4週間に減らし、あとの1週間分の有給は年金の負担金として納める。定年引き上げか休暇削減かどちらか選べとなったら、国民ももっとずっと身近な問題として感じられるのではなかろうか。「え、でも金持ちから取ればいいじゃん」という意見には、タックスヘブンに囲まれた地理条件下でお金持ちを隣国に逃してしまっては、逆に国の損失になることを懇切丁寧に説明して差し上げればよろしい。
テレビ出演しても、目の前のジャーナリストにエリート語で語りかけるのでは何の効果もない。最も多くの人々が見る時間帯とチャンネルのニュースで、ジャーナリストの質問に答える前に5分だけ時間をもらって、わかりやすく国民に説明する。これを何度か繰り返す。あるいはテレビコマーシャルを流してもいい。健康関連とか軍人募集とか、国のCMを時々目にするのだから、これと同じようにしたり、若年層にはSNSを駆使してもよかったのではと思う。
国民議会の議員たちに関しては、「財政赤字を減らすためにまずは議員の給料を減らしましょうか?」とでも言っておけば真剣に取り組んだかもしれない。第一、議員ならそれぞれ政策があるだろうし、どんな政策を実行するにも先立つものはお金だし、これ以上借金できないってところまで来ている。それなのに年金改革は必要ないとはっきり宣言できる野党第一党の新人民連合環境・社会(Nouvelle Union Populaire Écologiste et Sociale、略称NUPES/ニュプス:左派)には疑問符しか浮かばないし、逆に定年を引き下げる政策らしい。誰が年金を支払うのだろう?さらに不可解なのは共和党で、歴代の共和党党首が定年引き上げを声高に謳ってきた。すなわち共和党が真っ先に賛成すべき法案であるにも関わらず、「賛成投票一択。反対したら除名」の号令も出せず、反対すると息巻いている党員に至っては「じゃあ何故共和党に所属しているんだ?」と問いたいレベル。昨年の大統領選で社会党候補者の獲得票率は2%以下と、社会党の存続が大いに疑問視されたのと同様、共和党の存在も風前の灯なのだろう。2大政党制はもはや過ぎ去った時の遺産でしかない。
国民も不可解。テレビニュースのインタビューに出てくる人々は口々に「定年後にやっと人生を謳歌できるのに!」と言う。仕事をしているうちは生きていないと言うか、死んだように生きている。仕事にやりがいや生きがいを見出すなんて、彼らにとっては白菜がしゃべっているとか、魚が家の前の通りを歩いているとか、あるいはそれ以上にシュールなことでしかないということなのだろう。「64歳では定年になる前に死ぬ。労働者と管理職では寿命が全然違う。だから不公平だ」という意見も。ただ管理職の人は一般的に小さい時からきちんと勉強をして、それなりの学業を収め、管理職候補として就職しているのに対し、小学校中学校では適当に過ごし、成績不十分で普通科高校に行けなかったために今労働者として働いているのだとしたら、人生を自分で選択しているわけで、そこに不公平を訴えられても、今までの人生での努力の量が違うとしか言いようがない。美容師さんが「同じ姿勢でやる仕事だから64歳まで身体がもたない」とか、これってただ単に文句を言いたいだけだよね?と反応してしまう。もちろん身体的に60を過ぎると不可能に近い職業はたくさんあるし、これには特例が必要だけれど、身体を鍛えればいいだけじゃない?と言ってあげたくなる人も多く、なんなら会社がインストラクターを雇って職場に来させ、勤務時間内に週1時間くらい筋トレ&ストレッチのレッスンを設けてもいいのではなかろうか?ヨガマットと動きやすい服だけ従業員各自に用意してもらって、勤務時間に換算されるとなれば皆やるでしょう。
さらにデモやストに参加する人たちにものすごい疑問を感じる。その間の仕事は同僚がこなすか、滞るわけで、誰かが代わりにやったり滞ってもいい、その程度の仕事なのか、はたまた人に迷惑をかけたり仕事が滞っても私は知らないという程度の責任感なのか?こちらは寝ないで猛烈に仕事をしてもなんとか食べていける程度の収入しか得られず、サボっても誰かが代わりにやってくれるわけもなく、納期が遅れでもしたら次はない、年金なんて当てにできないから死ぬまで働くつもりのフリーランスの目には、年金改革反対は所詮守られている人間のわがままにしか映らない。共感できない。反対運動が激化すればするほど、腹立たしく思う今日この頃です。