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ドヤドヤされてフムフムする。銀行で経験した「おかしな当たり前」

「これは随分と前の話なので、今は違うだろうという前提ですが」

こう前置きをして、アメリカで金融系の仕事をしているDKさん(@dk_us_dallas)が、新卒で入った銀行の話をしてくれた。

それにしても、アメリカで金融系の仕事をしているのってかっこいいな。(感想が小学生の域を出ない)

…これはDKさんが10年以上前に新卒で入った、某銀行でのお話。

地獄の新入社員研修

そもそも銀行って入社ではなく”入行”というそうだ。なので、入社式ではなく入行式。
へえーと新鮮な気持ちになったが、ジャニーズ事務所が入所だから、そういうものかと受け入れられた。納得の仕方はこれでいいのか?

当時の金融系の研修は厳しいことで有名だったらしい。某金融系企業では、研修会場に監視カメラがついていて、寝ているとボコボコにされるという都市伝説まで生まれる始末。ボコボコにしたらダメだろう。

さて、DKさんのところはどうかと言えば、研修期間は半年程度あったらしい。長いなそれ…。その中にプログラムされていた、合宿的な研修。これがまぁ過酷なこと。

どこぞの研修施設に缶詰にされ、指導官は絶対といった世界観。怒号飛び交い、異常に厳しい規律の中での生活を強いられ、思考を失う形。朝は爆音のBGMで起こされる。クリスタルキングの大都会や、ロッキーのテーマ。……変な映画かな?

この研修期間の成績は採点され、その後の配属等に影響すると言われたら、人事配属が重要なポイントを占める銀行ではうまくやらねばならない。数字の良い支店に配属されると数字があげやすい。数字がすべての現場においては、配属は超重要なのだ。

最後は地図も時計もない中、絵と写真を手がかりに指定の場所へたどり着く訓練的なプログラム。終了して教官を胴上げし(なんで?)感動のフィナーレ!おめでとう!立派なギンコウインが誕生したよ!!

……という経験をしてきたそうだ。こういった研修をやる企業は聞いたことがあるし、私も過去勤めた会社で、社長が「やりたい」つって外部機関のそれっぽい研修をやっていたこともあったが、これは理不尽さで思考を奪うための研修かなーという感じ。

ナメた心を叩き直す!的な意図でやろうとしているのだけど、それに見合った成果はあるのだろうか。やる側が気持ちいいだけで、礼節だの礼儀だのは得られず、「理不尽な要求にも従う」従属者を作るためのアレかなと。今の御時世でもありがたく続けている会社はあるんだろうか。あるんだろうな。

閉鎖的な社会や、カイシャが絶対の世界観ではまかり通るんだろうな…。

…これなんの話でしたっけ。銀行?銀行って採用のときは結構華々しいイメージで話している気がするけど、配属の話や昇進の話、結構本業とは異なる序列的な要素が強いのかしら。半沢直樹的な世界ですか?半沢直樹読んだことないけど…。

その後配属先の部署でも結構アレでアレな世界を聞きましたが、本業に関係のないところでの試練が多すぎる。

エールという文化

DKさんが勤めた銀行では「エールを切る」という文化があった。フレーフレー的なエールだ。大学生の飲み会でのコールとか、そういったものに近いのかな。あるいは、社会人でも飲み会の最後にやる○本締めなどの長いバージョンかな。

エールをきちんとできて一人前。そして銀行によって型が異なる。DKさんの銀行は、A銀行B銀行C銀行が合併してD銀行!みたいになっており、それぞれの派閥により異なるエールが存在していたらしい。

エールはどういうときに切るのか。飲み会の時、イベントの時、店内でも屋外でも平気で切る。居酒屋では他のお客さんの迷惑だろうな…。送別会の後、駅のホームで同僚を見送る際にエールを切り、ドアが閉まる瞬間とエールの終わりをピタッと止めると、「やるなぁ!」となったらしい。やるなぁ!じゃないんだよ。

DKさんが配属された大阪では当たり前だったが、東京ではその文化は残っていなかったと言うから軽いホラーだ。

高度に発展したハイコンテクストカルチャー

大学飲み会のコールも、このエールも、発する側と合いの手の掛け合いが存在する。そしてそれが脈々と受け継がれている。何気なくやっている一本締めだの三本締めだのも、誰に習ったわけではないが、”なんだかみんなができている”。これは非常にハイコンテクストなカルチャーだとDKさんは評していた。

アメリカではこういったことには出会わない。すごく日本的な文化だと改めて気づいたらしい。ライブでのヲタ芸的なことや、掛け声?みたいなのもそうだろう。
ああ歌うときにこう声をかける。高度な合いの手は、日本のお家芸なのかもしれない。これは今回の新しい気付きだった。

日本の”一体感を求める”文化の為せる業なのだろうか。受け手が参加できるエンタメなのかもしれない。ライブの楽しみ方も、日本では口パク音源であっても"その歌の中での合いの手"という一体感で盛り上がることができる。

アメリカでその手の日本人アーティストが公演した際は(来米公演というのか?)周りでは「なんで口パクの踊りを見てるんだ…?」という空気だったという。アメリカでも地域によるかもしれないが、合いの手で感じる一体感は当たり前のものではなく、ある種それ自体が珍しいモノとして、エンタメ分野になっているのかもしれない。

思い返せば、スポーツ観戦だってそうだ。今は無観客で野球が行われ、”いつもは聞こえない音が聞こえる”など新鮮な発見があるが、国際試合やメジャーの試合には、日本の応援みたいなパラリラ感はない。観戦する、鑑賞することへの向き合い方が根本的に違うのだろう。
日本の応援も、選手ごとの応援、点が入ったときの掛け合い、チャンス時のテーマと盛り上がり方…それぞれが独特で複雑だ。応援文化そのものが、高度なエンターテイメントなのかもしれない。

本当に怖い話

昔の銀行の話から、少しそれた方向で盛り上がってしまった。恐ろしい研修から、ここには書けないやばい話、謎のエール文化の話までひとしきりしたあとで、DKさんは何故これを話そうと思ったのかを教えてくれた。

「いまTwitterなどで銀行の話を調べてみても、こういった研修の話やエールの話って、見当たらないんですよ」

えっ

「無くなることは良いことだと思うんですけど、あれだけ苦労したこの物語は、どこへ消えたんでしょうね。あえてほじくり回すのも野暮なんで聞きませんけど…。」

ほんとうにあったはずなのに ぷっつり消えてしまった怖い話や!!!!

会社の口コミサイトや、SNSで企業の文化や風習のおかしな話はすぐに出回る。あるいは武勇伝として過去を語るネタとしては有り得そうな話だ。箝口令が行き届いているのか?本当に文化は消えたのか。

DKさんの観測範囲では見つからないが、あえて深くも調べようとはしてないのかもしれない。私もそこまで首を突っ込もうとは思わなかった。そういった悪習は無くなっていてほしいし、銀行の厳しい状況を考えると、当時の思想から変革していないと生き残れないのではとも思う。

今はもう当たり前”ではないかもしれない”。そんな話をフムフムすることができた。DKさん、ありがとうございました。積もる話の供養にお役立ちできて、よかったです。


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