傷つけようと思っている人なんていない、そう思わせて

※こちらの記事は他アカウントから移行したものです。

 本当にただ、伝え方が悪かっただけ。そうであってほしいと願うような、悲しいことはごまんとある。どうしてそんな伝え方になったのか、仔細を語ることが憚られる場合もある。

 このところのななしいんくの話題は、こんなものばかりだった。

 語ってビジネスの信用を失うか、黙してリスナーの信用を失うか。
 当然、選ばれるのは後者だ。ビジネスの存続が無ければコンテンツの提供もできない。だから、ビジネスを選ばなければならない。その結果、リスナーからの信用を失うとしても。

 本当はリスナーのことを思った結果なのに、どうして責められるのか。

 おかしなリスナーが悪目立ちするのは分かるが、かといって、リスナーは何も分かっていないと思っているのであれば、それは誤りであると言いたい。

 リスナーは、見えている物で思考し、判断している。その結果聞こえてくるのが、ななしいんくへの落胆の声だ。
 「そんなつもりはないのに、落胆させるようなことが続いてしまっている」──それが誰の落ち度でもない、なんてことはない。そんな発表しかできない運営の落ち度だ。
 そしてタレントが物申しているにもかかわらず、運営の手法が変わらないことが一番の問題だ。タレントはみんな「運営さんは良い人だ」と言うのに、改善されていないではないか。いったい何度同じ過ちを犯すのか、数えるのも嫌になる。

 ななしいんくの運営は、とにかく悪いことの発表が遅い。発表するだけ良いではない。リスナーに影響のあることを、リスナーがまともに行動できないほどギリギリになって発表するのだ。分かってやっているわけで、隠蔽体質である。

 早めに公表しておけば波風立たないものを、直前に公表したせいで大事になったパターンがある。周防パトラのライブ然り、大浦るかこの運営転向然り。
 グループ統合についても、もっと早ければ少しは落ち着いて受け入れられたものを、「2日後に統合します、今日これから新ロゴ作りのマイクラやります」という発表が続いた。もしも知人がこのような発言をしたら、私は間違いなくサイコパス認定をするだろう。

 大浦るかこの件について、別のVtuberの発言が印象に残っている。要約するとこうだ。
「こんなに急に発表されたら、最後の配信をリアルタイムで見られないリスナーが絶対いると思う。推しの最後に立ち会えないなんて悲しすぎる。リスナーのことをもっと考えてほしい。1か月前に発表することはできなかったのか」
 尤もだと思う。前述の通りのっぴきならない事情はあると思うが、何せ毎度発表が遅いから、わざとギリギリにしているとしか思えないのだ。

 そういう不満が出てきてしまうから思うのである。ななしいんくはリスナーのことを考えた行動をしていないと。ベストを尽くしたとしても、遡ればもっと良い選択があったはずだと。時期を逸してベストもモアベターも失い、残りの選択肢からベターを選んだことを「その時点でのベスト」だと言い張っているのではないかと。
 タレントにとってもそうで、運営から突然聞かされた情報によって行動を選択しなければならない場面があるのだと思う。そして彼女らは自分の意思とリスナーに与える印象等を考え、ベストの選択をする。だがこれも同じで、タレントへの共有が遅すぎたがために「その時点でのベスト」に成り下がっているのではないか。

 本当に誤解なら、そう思わせて。今のままでは、何も伝わらない。

 私の推しは今もななしいんくにいる。そして推しがライブに出演するので、その姿を見ておきたい。ライブを見るために、ななしいんくに対してチケット代を支払わなくてはならない。それが本意ではないのだ。今のななしいんくでは。

 そんなことを、杏戸ゆげのアーカイブを見て思った。

(敬称略)

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