こわいとは

わたしにはこわい物がいっぱいある

なんと説明したらいいんだろうな、、
今日は面接だった。

面接会場へと進むエレベーター、もし扉が空いてすぐオフィスだったらどうしよう、、誰かと目があったら?こわい。
扉を開ける。内線電話。ここから繋がると人の声がするんだ、、こわい。
人が出てくる。どんな人だろう?あっ挨拶しなきゃ。なんだか早口で聞き取れないな、、こわい。
経歴の質問、私は今まで何をやってきたんだろいか、、はぁ今無能だと思われているんだろうな、、こわい。
面接が終わった、終わった後の結果は?電話かな?できればメールがいいな。。こわい。

家に帰る。もしかしたら昨日の面接の結果の電話がかかってくるかもしれない。こわい。

思い出せば、いやおもいださなくても、社会人になって、生きていて、平穏な日々などほとんどなかった。誰かと関わりを持ち、利益と繋がる関係を持つほどに、私の心の秤には、こわい物がどんとのしかかり、のしかかった分だけしんどくなるのだ。

あなたは小さい時から逃げてばっかりだったから、乗り越え方を知らないのよ。と言われたが、ほんとうにそうだろうか?一年前、乗りこえようとして体調を崩した。わたしも、行きたくないとか、そんな理由でこんな悲惨な事態になるとは思っておらず、何も乗り越えられない自分のことがもっと嫌いになった。

しばらくやすんで、嫌いな自分を忘れていたが、面接、知らない人と関わると、嫌いな自分が見えてしまう。

誰かと関わるたびに、自分のことを知られるたびに、傷つく自分がいる。自分のことが好きではないから。

24年間、生きてきて、乗り越えられなかった。本当に乗り越えられなきゃいけないものなのだろうか?
受け入れて、いきていきたいが、受け入れ方もわからない。

考えすぎかもしれないが、この大きな大きな問題は、私の中の真の芯まで侵食し、かすかに訪れる平穏な日々をも食い尽くす。

おい、なんなんだよ。どうして、私の元にお前はやってきた?私にどうしてほしいんだよ。

怒っても嘆いても、どうにもならないから、わたしはどうにかして私でいられる道を探したいのだ。

どうかたまに訪れる平穏な日々が長く続きますように。


いいなと思ったら応援しよう!