わたし の人生ストーリー
このページにお越しいただき、ありがとうございます!
私は健康アドバイザーとして、日々「元気」と「笑顔」をお届けすることを大切にしています。
ここでは、私自身がどのようにして今の道を歩み始めたのか、そのストーリーをお話ししたいと思います。
これまでの道のりを振り返ると、本当にたくさんの方々に支えられてきました。時に迷い、時に立ち止まったとき、そっと手を差し伸べてくれる人たちがいて、私の人生を明るく照らしてくれたのです。そのおかげで、今こうして人に寄り添う仕事ができているんだと、心から感謝しています。
人生には、誰しも壁にぶつかったり、涙を流すような瞬間がありますよね。そんなとき、笑顔の力や心の健康がどれほど大切か、私自身の経験を通じて強く感じてきました。このストーリーを通じて、少しでも「元気っていいな」「笑顔って力になるんだな」と思っていただけたら、嬉しく思います。
読んでくださる方が、ほっとしたり、前向きな気持ちになれるような場所にしたいと思っています。
ぜひ、ゆっくりと読んでいってくださいね!
私は、京都府京田辺市で1985年12月29日の年末の忙し時期に生まれました。
困難に立ち向かう幼少期・青年期
家の田んぼで近所の子供たちと走り回ったり、家の周りを探索するのが大好きでした。末っ子だからか、とても気が強く、姉や兄をいじめてくる子に対し、とことん立ち向かっていました。
家は裕福ではなく、母は内職やパートで家計を支え、私も幼い頃からその手伝いをしていました。父は子育てにあまり関心を示さず、母が一生懸命育児と仕事の両立をしながら、毎日の家事に追われている姿をよく見ていました。
3歳の時、姉が父に蹴られて後頭部に大怪我を負い、緊急手術をする大変な事が起こりました。
幸い、命には別状なかったのですが、この頃から
父親という存在に疑問を抱き始め、少しずつ距離を置くようになりました。
10歳の時は家が全焼し、ほとんどすべてを失うという悲劇に見舞われました。失ったものはかなり大きく、当時大切にしていた物は全て失くなってしまいましたが、家族が無事である事に安心しました。
火事の後、近所の人々や小学校の同級生や先輩からの支援を受け、なんとか学校生活を続けることができました。しかし、それと同時に、家族に重くのしかかる借金地獄が始まりました。
中学校進学の際には、自分の我がままを許してもらい、友達と同じ奈良の学校に進学しました。
その頃はリズムを感じることが好きだったので迷わず吹奏楽部に入部し、そこでドラムに出会いました。ドラムを叩いている時は何も考えずに、無我夢中だったので、そこでストレス解消していました。
小学6年の頃から洋楽パンクロック(特にThe Off Spring)が好きで、中学生になってもずっと聞いていました。彼らの爽快な音楽は私の気持ちを代弁してくれてるような、そんな気がしていました。
しかし、友人関係では苦い経験もありました。信頼していた友達からは裏切られ、お金を貸しても返ってこなかったり、パシリにされたりと、傷つくことも多く、次第に友人関係に対する不信感が募るようになり、卒業式の時には、なんの寂しさもなく学校を去りました。
そんな中で地元の高校に進学し、やっと心から信頼できる友人たちと出会いました。きっかけは、貸したジュース代を翌日にきちんと返してくれ「ありがとう」と言ってくれたことで、私の心に深い感動を与えてくれました。恋愛話や将来の事まで何でも話せる関係を築くことができ、今でも交友関係は続いています。
高校生活では、吹奏楽部での活動を続けながら、高一の夏からホテルレストランでのアルバイトを始めました。自分でお金を稼ぐことの大変さと、職場での仲間との連携の重要性を学び、学校では学ぶことのできない達成感ややりがいを見つけていました。高校生といえど、厳しい接客業の仕事内容で、初めの頃は色々失敗したり怒られたりもしました。
しかし、一緒に働く仲間と協力することで乗り越える楽しさを知り、接客業の魅力に引き込まれていきました。
高校卒業後も接客のバイトを続けていた私ですが、忙しいキッチンを手伝う機会があり、その料理を食べたお客様が凄く喜んで食べている姿を見て、感動したのです。そして料理に対する新たな興味が芽生えました。
もっと料理の勉強をしてお客様の笑顔が見たい!という思いが強まり、洋食カフェレストランで働きながら調理の勉強を始めました。そして20歳で調理師免許を取得し、京都の老舗洋食レストランで働くようになりました。
そのレストランは長蛇の列ができるほどの人気店で、毎日長時間、殆ど休憩がない状態で日々体力を振り絞りながら働いていました。
中には、私が作ったものが食べたいと言って下さるお客様もおり、常連になってくれる方もいらっしゃいました。
毎日ヘトヘトでしたが、お客様の笑顔を見て幸せになる喜びや、共に働いている仲間との切磋琢磨する時間がとても楽しく、その場が私の居場所なんだと思っていました。
しかし、やはり長時間の立ち仕事で、体に痛みを伴うようになって体力的な不安が徐々に増してきました。このままずっとこの場所で働けるのか、という疑問が頭をよぎるようになったのです。
その不安が私を動かし、もっとできることがあるのではないかと模索し始め、簿記の勉強を仕事の合間や通勤時間中に独学で始めました。そして簿記2級を取得しました。
新しい可能性を見つけようと、26歳の時、自分自身と向き合うために、料理の世界から一度離れる決心をしました。
一ヶ月ほど地元でのんびりしながら、近所の自治会に参加したり、母の食育のボランティアのお手伝い等をしていました。
ちょうど家の近くの郵便局で求人募集があり、今までと違った職業の場で働く事になりました。小包や手紙の仕分け作業は、以前は地味に感じていた仕事でしたが、その一つ一つが誰かの思いを運んでいることに気づき、素晴らしい仕事だと思うようになりました。どんな仕事を割り振られても、とっても楽しくストレスがありませんでした。
上司がその姿を見て、事務の仕事や給与の管理等より多くの仕事を任せてくれるようになりました。
仕事を頂けて感謝という思いが常にありました。
素敵な出会いと経験
そんなある日、地元の近くで外国人向けの民宿を経営するおじいさんと出会いました。
子供のころから海外への憧れや外国語に興味があったので、彼と話がしたいと思い、その民宿に訪れ話を聞くことにしました。
おじいさん一人で沢山の外国人観光客を相手にしていたので、とても大変そうでした。私にも何かできるのではないかと思い、仕事の合間に手伝うことに決めました。
母や兄弟も国際交流に興味があり、一緒に民宿の仕事のお手伝をする事になりました。徐々に地元の人達の協力も得るようになり、着物の着付けやそうめん流しや、日本料理を一緒に作ったり武道を披露したりと、たくさんのイベントを開催しました。
海外から来るゲストたちはとても喜んでくれ、「楽しかった!ここに来てよかった!また会おう!」と言って下さる方ばかりでした。
異なる文化や習慣を肌で感じることで、どんどん海外への憧れが強まりました。
その頃、民宿で知り合ったシンガポールの友人に会うために有休休暇を取り、思いきって初めての海外一人旅に挑戦しました。
今まで飛行機にも乗った事がなく、一体何が必要で向こうに着いたら何をすればいいのかわからなくなる不安もありましたが、実際行ってみると現地の友人の助けもあり、親切に優しく沢山の場所を案内してくれたり、美味しい手作り料理や名物料理を味わったりと素晴らしい思い出を作ることができました。
運命の出会い
その後、民宿での手伝いを続ける中、スペインから観光に来た一人の男性と出会いました。彼の日本文化への深い理解と礼儀正しさに感心し、互いに惹かれ合うようになりました。彼の家族思いで優しい性格に心を打たれ、やがて結婚を前提に付き合うことになります。
スペイン - 日本の遠距離恋愛が始まり、会えなくて辛い時期もありました。
時差で連絡が取れる時間が限られており、もどかしい思いをすることもありましたが、彼の前向きな励ましや、私を寂しくさせないように沢山笑わせてくれました。
出会って1年が経った30歳のとき、私は彼と結婚するためにスペインへ移住することを決断しました。日本のすべてを断捨離し、持って行ったものはスーツケースひとつだけ。家族や友人と別れを告げ、異国の地で新しい生活がスタートしました。
スペイン語がほぼゼロの状態での移住は、不安と戸惑いでいっぱいでしたが、夫とその家族の支えもあり、日本では出来なかったたくさんの事を経験させてくれました。
語学学校に通いながら少しずつ新しい環境に適応し自分一人でもできることを増やしていきました。
スペインでの私の存在
スペインでの生活が始まった当初、私は「何かをしたいけれど、何もできない」というもどかしさに悩んでいました。「右も左もわからない、まるで子どものようだ」「もっとスペイン語が話せたらいいのに」「この地での自分の価値って一体何だろう?」と、毎日のように自問自答し、時には落ち込むこともありました。
そんな中でも、いつも優しく接してくれるスペイン人の家族や友人たちを見て、「自分にできることは何だろう」と模索する日々が続きました。そして、ふと思い出したのが、昔から好きだった「字を書くこと」でした。その思いを胸に書道を始めることにしたのです。
筆を持ち、書に向き合うと、不思議と心が静まり、自分だけの特別な場所が生まれたような感覚を覚えました。それは、スペインで感じていた不安や焦りを浄化し、私にとっての心の拠り所となっていきました。次第に夫や仲間たちが取り組んでいた合気道や薙刀の道場に飾る書を書くようになり、それがきっかけで他の国からも依頼が舞い込むようになりました。その頃には、自分の中で「ここでの自分の居場所」を少しずつ見つけられているような気がしていました。
また、私と関わってくれるスペインの人たちは、日本文化にとても興味を持っていて、特に日本食への関心が高いことに気づきました。そこで、現地で手に入る食材を使って一緒に日本食を作ったり、道場に差し入れをしたりと、楽しい時間を共有する機会が増えていきました。そうした日々を重ねるうちに、文化を通じてつながる喜びを感じ、スペインでの暮らしに少しずつ自信と充実感を得られるようになりました。
生活の変化
コロナ禍で外出禁止令が発令される直前、私たちは念願のマイホームを購入しました。しかし、その直後に外出禁止令が出てしまい生活は一変しました。購入したばかりの家には家具も生活用品もないので約半年くらいは手付かずのまま、何もできませんでした。夫の両親の家でお世話になりながら、コロナ対策に明け暮れる毎日を過ごしていました。
スペインでは、買い物や散歩以外の外出は禁止され、それ以外で外出している人や、マスクをしていない人には罰金を取るなど、かなり厳しく取り締まっていました。
スーパーでは毎日長蛇の列ができ、入場制限がされていました。食材やおむつやトイレットペーパーや消毒液が品薄になり、家にあるもので少しずつ消費しながら過ごしていました。
知り合いには医療従事者も沢山おり、いつ自分がコロナになって倒れてしまうかわからない、死と隣り合わせの状況だが、今現在コロナで苦しんでいる患者達を一人でもいいから助けたいと強い信念で働いてらっしゃいました。
私たちは毎日必ず夜8時になると、窓から医療従事者やコロナ下で働いている全ての人に感謝を込めて拍手を送っていました。
少しずつ外出制限が緩和され、私たちの生活にも少しずつ活気が湧いてきました。
新居は中戸建てだったので、修繕作業にとりかかり生活ができるようになっていきました。
新しく、犬と迷い猫が家族に加わり賑やかになって家の中に温かさがでてきました。
海外での妊娠•出産・育児
コロナが少し落ち着いた頃、第一子を妊娠し、出産しました。海外での初めての妊娠•出産は、喜びと不安が交錯する経験でした。
妊娠中は酷い悪阻と貧血でソファーの上にいることが多く、当時食べたいものが日本の玉子豆腐やもずくだったので、それらが食べれない事に毎日嘆いていました。
出産では、コロナの影響で病室に入れる家族は旦那さんだけでした。不安な中、赤ちゃんの胎動を感じながら過ごす時間を大切に感じていました。
出産時には産道が狭いせいで赤ちゃんが出てこれず、一時間以上踏ん張ることになりましたが、それでも顔を出してくれませんでした。最終的には会陰切開をし吸引することになりました。
産声を聞いた時はとにかく安心と頑張った自分に拍手をしました。
これから赤ちゃんとの生活がスタートします。
しかし、初めての育児はとにかく四苦八苦し、赤ちゃんが泣くと何をしたらいいのかわからず、私も涙目で慌ただしく過ごす毎日でした。出産での痛みを忘れるほど、赤ちゃんの世話に精一杯でした。
毎日赤ちゃんと家にいると、幸せな気持ちより孤独感や疎外感が増していきました。相談に乗ってもらえる頼れる人が周りにいなかったので、心が折れそうになることもありました。それでも、母や姉からの温かい励ましの言葉が支えとなり、少しずつ前向きに育児に向き合えるようになりました。
短期間で経験する生と死
それから約2年後、二人目の出産を経験しました。しかし、妊娠中に母を急逝で失い、深い悲しみと喪失感で酷い貧血になったり体調を崩したりしました。
それでも、無事に出産をし、二人の子供の母親となりました。
母の死を少しずつ乗り越えながら、自分が今まで受けてきた愛情を子供たちに注ぎ、強く生きていこうと心に誓いました。
健康でいることの素晴らしさ
私は自分自身の体と向き合うことの重要性に気付き、健康でいる事が人生を幸せに導いてくれ、家族も笑顔になるのだと実感しています。
子育てに忙しい毎日ですが、子供が寝静まった時に学びを深め、トータルウェルネスアドバイザーの認定証を頂く事ができました!
こうして、私のスペインでの生活は、単に異国での暮らしを経験するだけでなく、自分自身を深く見つめ直し、成長する機会となったのです。
現在、私は家族とともに育児に奮闘しながらも穏やかな生活を送っております。
健康アドバイザーとして、更に学びを深めたいと思い、漢方の薬膳についても勉強を始めました。
私が歩んできた道のりは、決して平坦なものではありませんでしたが、そのすべてが今の私を形作っています。これからも、一歩一歩前進し続け、より多くの人々に「元気」と「笑顔」を届けられるよう、努力を重ねていきます。
どんな状況でもポジティブに、そして強く生きることの大切さを、皆さんと一緒に共有していけたら幸いです。
ここまで読んで下さって心から感謝いたします!
これからどんどん健康情報を発信していきますので、是非見に来てくださいね!