
自己紹介
皆さまはじめまして。
姓名判断鑑定士の光士郎と申します。
シングルファザーとして、11歳と6歳の子育て真っ最中でございます。
私が姓名判断鑑定士を志したのは、「尊敬する祖父のような、人助けのできる人間になりたい」と思ったことが大きなキッカケでした。
私の祖父は終戦直後、30代前半の時に肺結核の病に侵されました。
その時代では“不治の病”と言われており、祖父のお母様が土地や財産を売り払い手術を受けるも、すでに手遅れ。
余命2週間を宣告されたある日、医者から「今後の医療の発展のために、もう一度肺を開かせてもらえないだろうか」との提案を受け「人のお役に立てるのなら」と快く了承した祖父。
肋骨も一部切除し肺を開いたそうで、胸を閉じる際には“少しでも体力があるうちに”と肋骨は戻さずに閉じたとのこと。
その時点で「もう3日は生きないだろう」と祖母や母は、医者から言われたそうです。
ただ、どういう経緯かは分かりませんが(祖父が一切語らなかったらしい)、それから祖父は能力に目覚めたとのこと。
でも病状が改善したわけではなく、自宅のトイレに行くのも2〜3歩歩けば「ハァ、ハァ」と息切れして立ち止まり移動もやっとの状態。
相談者が訪ねて来られても、体を起こすこともできずに布団に横になったままお悩み相談を受けていたことも多かったらしいです。
そんな状態でも「人助け」に余生を捧げ、余命宣告を受けてから約17年もの間生き続けたと。
幼い頃からそんな話を母や祖母からずっと聞かされていた私は、物心ついた頃にはすでに「おじいちゃんみたいな大人になりたい」って思ておりました。
そこが全ての原点となり、祖父が使っていた姓名判断の資料が形見として母から私へ引き継がれ、現在に至っています。
もちろん私は生前の祖父とは会ったこともなければ話したこともないのですが、この信念だけは46歳になった現在も一切揺らぐことなく、私の中に在り続けています。
そして私が40歳の時に『光士郎の姓名判断』を立ち上げ、細々と活動しながら祖父の真似事「人助け」をさせていただいている次第です。
コチラのnoteは知人に紹介していただき、本日より投稿をスタートさせていただくことにしました。
私は姓名判断鑑定士ですが、タロット占いもさせていただいております。
そのタロットを毎日引いて、出たカードと私の中に降りてきたメッセージを合わせたものを“○月○日タロットメッセージ”としてお届けしていきたいと、そう思っております。
皆様の大変な毎日に、少しでも背中を押せるような、生きる力になるようなメッセージがお届けできれば幸いです。
どうぞ末長く、よろしくお願いいたします。