児童養護施設と私(6)
平成になる少し前の夜中、数人の小学生男子が施設から抜け出した。大人達は『脱走』と呼んでいた。脱走した数人の中に私の兄も含まれていた。
施設の子ども達の中では上下関係ができていて、兄は男子の中では従う側だった。上級生の男子に殴られて脱走についてくるように言われたらしい。脱走に気がついた職員達は逃げた子どもを探しに回っていた。私も職員と一緒に車に乗って探した。逃げた子ども達は途中でバラバラになったらしく、見つかった日にちも場所もそれぞれ違っていた。
以前にも書いたが、家庭から施設に来た子ども達にとって、保護されるような環境である家庭だとしても『帰りたい場所』なのだ。
食べるものも寝る場所も温かい言葉も十分になんかないのに。
脱走して目指す場所は元にいた家。
決死の覚悟で危険を犯して辿り着いた『我が家』
無情に拒まれ行く宛がなくなる
施設にも帰りたくない
何か罪を犯したわけでもないのに逃亡犯のように身を隠し力尽きて発見確保される
連れ戻された後に掛けられる言葉は、傷ついた彼らを癒すものなんかじゃない
体罰
罵声
規制
脱走、反抗、非行…
そうしなければいけない子どもの気持ち
そこに気付ける大人がいる場所じゃないのか?
家庭で傷つき、施設で傷つき
社会で1人生き抜いていけるわけがない。
共感されたり
愛されたり
傷ついた年月より多くの時間をかけて
見返りなんて考えない
無償の愛が必要なんだ
反抗したら
試し行動したら
その裏にある子ども達の辛さにそっと寄り添ってほしい。