「死ぬこと以外かすり傷」?「いざとなったらいつでも死ねる」?
タイトルにも書いた人生に対する考え方。「死ぬこと以外かすり傷」とか「いざとなったらいつでも死ねる」とか、これって違うこと言っているようだけど、似た考え方なのかなとも思います。
私は後者の考え方の方が好きです。死にたいわけじゃないですよ。自分としてはポジティブな考え方だと思っています。
皆さんは「生きること」どう考えていますか?
「死ぬこと以外かすり傷」という考え方
この言葉。座右の銘としてもよく聞きます。でも誰が最初に言ったのか、よくわかりません。
ヤフー知恵袋でも「誰の言葉ですか?」と聞いている人がちらほらいましたが、見てみると実業家の方の本のタイトルになっているとか、最初は笑ってこらえてで一般人の方が言ったとか、スナックのママが言ったとか書いている人も。
これだけ質問がヒットしたり、座右の銘として出てきたり、多くの人に浸透している言葉ですよね。
死にさえしなければ何が起こっても大抵のことはなんとかなる、みたいな意味合いなんでしょうか。明石家さんまさんの歌に出てくる「生きてるだけで丸儲け」も同じような考え方に基づいているように感じます。
でもこの言葉に関しては知恵袋でもいくつかのお怒りの質問もヒットします。死ぬこと以外はほんとうに「かすり傷」なのか。えぐられるほど辛いこともあるじゃないかと。そういう痛みを経験したことがない人が言う言葉じゃないかと。
この気持ち、正直わかります。私も「かすり傷」を死ぬほど痛がってしまう人間です。
でも本当に「かすり傷」だと思っている人からこの言葉って出てこないんじゃないかなとも思うんですよね。日々の辛いことが「かすり傷」だと思えない。痛いからこそ、死を「終わり」だと仮定してそれ以外はまだマシだと思いたい。「かすり傷」だと思いたい。そう言い聞かせているのかも。
「いざとなったらいつでも死ねる」という考え方
正直私にフィットするのはこっちの考え方なんです。逃げ道の最終手段として死があって、それを自分に担保しているからこそある程度自由に生きられるという。
でもこれってあんまり公に言えません。病んでる人だと思われそうで…
私としてはこれは最大限のポジティブだと思ってるんです。現在死にたいと思っているわけでも病んでるわけでもなくて、死のとらえ方の違いという話。死を終わりだとネガティブにとらえるか、逃げ道だとポジティブにとらえるか。
要は死ぬまで人生は修正可能ということで、どちらの考え方も同じようなことを言っているような気もします。
どちらも似た達観なのに、なんか後者は言いづらい。「いざとなったらいつでも死ねる」タイプももっとフラットに言えるようになったらいいなーと思います。全然まとまっていないし、なにか結論があるわけでもないのです。書きたいことが書けたのでここで終わり!