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大人の「現代文」135……『檸檬』26みすぼらしい美の到達点
檸檬はこころの故郷ではないか
この美の到達点はもちろん「檸檬」ですが、「夜の果物屋の美」の発見も重要ですよね。いつもひときわ暗い場所で、夜になると、そこが絢爛たる光の世界になるーその鮮やかな明暗の対比世界のイメージで「レモン」にスポットライトが当たるわけです。レモンを買ったのは夜とは書いていないのですが、レモンは暗闇の「暗黒さ」を従えて登場するのです。そしてこうなります。(再掲します)
始終私の心を圧えつけていた不吉な塊がそれ(レモン)を握った瞬か
らいくらか弛んできたと見えて、私は街の上で非常に幸福であった。
あんなにしつこかった憂鬱が、そんなものの一顆で紛らされる。ーあ
るいは不審なことが逆説的な本当であった。それにしても心というや
つはなんという不可思議なやつだろう。
主人公の言うとおり、「不吉な塊」という「憂鬱」をたったの一顆のレモンが紛らすことに「気づいた」のです。そしてこれが「みすぼらしくて」「美なるもの」のゴールでした。
でもちょっ待ってください。ここまできたらもはや「みすぼらしくて美しいもの」の「みすぼらしい」は、お役御免になるのではないですか?それはすでに「憂鬱」を弛ませるほどパワーをもっており、主人公を「非常に幸福にする」なら、「みすぼらしい」などということばはレモンに失礼じゃないですか?
すでに、以前指摘したように、ここで、主人公は不吉な憂鬱から一瞬でも解放されるのです。「西洋」という「ゴージャスな美」に入っていけず、「みすぼらしい美」の流浪に出て発見した新たな「みすぼらしくない美」その意味でレモンは、「こころの故郷の美」の象徴と言えるのではないでしょうか。