大人の「現代文」63……『こころ』Kとはどういう人か
「私、このKという人の方が(主人公の先生より)わかる」とつぶやいた生徒
高校現代文教師を長年続けていると、ある日あるとき、思いもかけぬ生徒のことばにこころを貫かれるような衝撃を覚えることがあります。実は、今私が書いているこのnoteの記事、私が自分なりに考えてきた内容と、そういう生徒の言葉から頂いたヒントを中心に考えた結論の合成物でありまして、前にも書きましたが、私は授業自体が、サイエンスの「実験」のようなものと思っています。
以前、このnote53・54で書いたスピーチした高校生など、その最も記憶鮮明な生徒であって、あのときは、ほとんど生徒から「日本文化そのもの」を教わったような感動をした記憶がありますが、それ以外にも、断片的に生徒が発して思わず考え込んでしまったようなことばはたくさんあります。今回ご紹介するのは、そのことばから何か「教わった」というものではありませんが、Kを説明するにあたり、いつも思い出すことばとして、一つ紹介させていただきます。
この『こころ』のなかで、最も理解困難な人物はおそらくKなのではないかと私思うのですが、皆さん、どう思われますか?というのも、こういう人物っておそらく現実の我々の生活の中に見出すのは難しいと思うからです。
のちほど詳しく検討するので、今はざっとの説明にとどめますが、このKという人物は非常にユニークです。何がユニークかというと、「思想」家なわけです。「思想」というとすぐ右だの左だの「信号???」感覚が意識されますが、そういった「政治的」なものではなく、もっと純粋な「仏教思想」といったような「内面的思想」です。あるいは「修行者」の「思想」なわけです。
で、この「思想」が非常にユニークなわけで、その中核概念が「禁欲」なわけです。それを日々の衣食住生活の中で「謙虚」という形で実践する……くらいならまあわかるのですが、彼の場合は徹底していて、自らの社会的行動にも適用するのです。具体的には、医者の家に養子に行ったにもかかわらず、養家先を欺いて、哲学の勉強に没頭する(なぜなら「禁欲思想」は「最高哲学」で医学より高尚だから)といった、「社会常識に反する」行動を平気で行い、結果、学資をたたれ、実家からも勘当され、窮地に陥るも恥じずといった、ある意味非常識、ある意味豪胆な人物というわけです。
率直に言って、高校生に、この人物をわからせるのは非常に難しいです。
そもそも現代の高校生は「社会常識」を尊重しますし、「思想」も「禁欲の思想」もピンとこないのです。ところが、ある年『こころ』の授業でkについて触れた際、ある女子生徒が、呟いたことばが忘れられないのです。その生徒は、正に、見出しの通り「私、このkという人の方が、(主人公の先生より)わかる(共感できる)」とはっきり言ったのです。これは衝撃でした。
続きます。