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大人の「現代文」71……『こころ』先生の意識は人との関係性にあります


信じられる人か否か


 前回の結論部に、先生の告白の基軸は「その人は信用できるか否か」という視点と指摘しました。
 そう思いませんか?
 
 同時に、先生自身がそう思われているかどうかも、意識しているわけです。要するに、いつも、他人をどう思っているか、他人からどう思われるているかを意識しているわけです。しかも単なる意識にとどまらず、その人が「自分を信じているか否か」もしくは「その人は信じるに値する人か否か」という「信頼の有無」の視点ということです。我々が普通意識する、「この人は陽気かそうでないか」「慎重かおっちょこちょいか」「冗談好きか真面目か」「自分を飾るか素朴か」といったようなことではなく、「信じられる人か否か」といった軸だということです。この視点で、奥さんお嬢さんを見ているということです。

 皆さんは、どうですか?誰か新しい人に知り合いになったとき、こういう先生のような視点で相手を判断しようとしますか?

 で、この「信じられる信じられない」という視点も、さることながら、「他人をどう思うか、自分はどう思われているか」という視点って、日本人はすごく強いと思いませんか?「誰がどう思おうとそんなことは関係ない」という人はむしろ稀ではないかと思うのです。

 西洋文学を読んでいると、「人がなんと思おうとオレはオレ」というのが、ある意味あたりまえであって、そこにその人間のドラマが展開するのですが、日本文学はここに全然違う感性があると私は思うのです。要するに他者との関係性から生じる心情ということです。

 そして、あれだけ世界文学を読破した漱石が、自分の文学では日本人の感性に則って、ひたすら他人の眼差しを気にする人物を造型しているということです。そしてその眼差しに安心を与える感覚が、「信頼」ということです。

 

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