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大人の「現代文」1……『羅生門』から始めます。

はじめまして。トミです。

長年「現代文」の教師をしてきた私が、「現代文」という科目をどう見ているか、何を伝えようとしているのか、ありのままに語ります。現役の生徒さんのみならず、大人の方にも読んでいただきたいのでこういうタイトルにしてみました。さっそく始めますね。

「羅生門」

最も定番の教材です。
平安時代末期、名もない下人が、度重なる天災に見舞われ荒れ果てた京都で、職を失い途方に暮れている。生きるために盗人になるべきか悩み、解決がつかぬまま羅生門の楼上で夜を明かそうとすると、死体の髪の毛を抜く老婆を目撃する。憤激し捕らえて問い詰めると「悪人に対する悪は許される」「生きるためにする悪は許される」といった「論理」を聞かされ、下人は「覚醒!」する。老婆に自身の発言を「確認!」すると、やにわに老婆の着物を剥ぎ取り京の町に逃走した、という話です。

芥川の見事な筆力で、京の風景とともにおどろおどろしい精神の荒廃が暗示され、主張明確で、確かに「名作」であることは疑いもない、とは思います……が、実際は、現代人には、結構、捉えがたい作品ではないかとトミは思っています。

 私の感想を先に言ってしまいますと、実は普通の読解(人間の底にはエゴイズムがあるのだぞ!)とは全く違っていて、芥川の時代はなんと、おおらかにお互いを信頼し合っていたのかということです。自分が泥棒をしなければ「餓死する」かもしれないという、生命体として究極的な状況で、なおかつ下人は盗人になるかならないかを悩んでいるのです。逆に言えば、「餓死の恐怖」がなければ盗人になることなどは到底考えられない人が下人という人なのです。

 まずこの点皆さんはどう思われますか?

 

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