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大人の「現代文」124……『檸檬』15主人公の心の秘密


なぜ「不思議」?


   さて、レモンという「みすぼらしい美」が、主人公の「憂鬱な不吉な塊」を弛ませ、幸福にしたのは、彼の肺尖カタルという宿痾の苦しみからの解放であるというところまで来ました。でもこれ、切ないですよね。当時結核は不治の病であり、実際梶井本人は、31歳で結核で亡くなるわけです。そしてむろん主人公は、そういう自らの「身体の悲惨」を知っているわけです。にもかかわらず、身体がこのレモンから得た「幸福」をあたかも天から降ってきた「僥倖」のごとく語るのです。本文を見てみましょう。

    実際あんな単純な冷覚や触覚や嗅覚や視覚が、ずっと昔からこれば
    かり探していたのだと言いたくなったほど私にしっくりしたなんて
    私は不思議に思えるーそれがあの頃のことなんだから。

 あの頃?じゃ直近じゃないんですかね。でもそれは後回しにしましょう。レモンが与えてくれたささやかな感覚的な救済を、彼は身体の現状に照らした「当然な感覚」を、今更ながら気づかされた天恵のようにありがたがるのです。「不思議に思える」……と。皆さんどう思われますか?

 レモンの冷たさや匂いやかさすらも、これほど彼を幸福にする。それほど彼の身体の現状は過酷なのに、彼は、それを偶然の僥倖のように喜ぶ。それほど、彼は自分の身体の現状に「無頓着」なわけです。

 実際、肺尖カタルによる身体の熱をなんと語っていたでしょうか?こうです。再掲しますね。
  
     事実友達の誰彼に私の熱をみせびらかすために手の握り合いなど
     をしてみるのだが、私の掌が誰のより熱かった
 
 自分の重篤な身体状況を、まるで他人事のように、何でもないことのようにおもしろがり、自慢!するわけです。この強さというべきか、無頓着というべきか、あるいは意図的な韜晦と言うべきか、一種のポーズというべきか定まりませんが……この姿勢に、私は、この主人公の「魂」を感じるのです。

  で、「この感覚」は彼をどういう行動に誘うのでしょうか?


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