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大人の「現代文」116……『檸檬』7主人公の感性

「いけない」のは借金ではなく「不吉な塊」って本当?

 
 さて、『檸檬』次のくだりを見ますね。

            察しはつくだろうが私にはまるで金がなかった。とはいえそんなも
    を見て少しでも心の動きかけたときの私自身を慰めるためには贅
    沢ということが必要であった。二銭や三銭のものーといって贅沢な
    もの。美しいものーといって無気力な私の触覚にむしろ媚びてくる
    もの。ーそういったものが自然私を慰めるのだ。

 いきなり謎語が出てきます。「そんなもの」って何でしょうか。引用が長くなりますが、これ次に出てきますので、さらに引用しますね。

    生活がまだ蝕まれていなかった以前私の好きであったところは、た
    とえば丸善であった。赤や黄のオードコロンやオードキニン、洒落
    た切り子細工や典雅なロココ趣味の浮き模様を持った琥珀色や翡翠
    色の香水瓶。煙管、小刀、石鹸、煙草。私はそんなものを見るのに
    小一時間も費やすことがあった。そして結局一等いい鉛筆を買うく
    らいの贅沢をするのだった。しかしここももうその頃の私にとって
    は重くるしい場所にすぎなかった。書籍、学生、勘定台、これらは
    皆借金取りの亡霊のように私には見えるのだった。

 ここまで読むと、いろいろ見えてきます。「そんなもの」とは西洋由来のエギゾティックな文物であり、そこにうかがえるのは、その「美」に酔いしれたかつての「生活の蝕まれていなかった私」であり、翻っては、今の、かつてはできた二銭や三銭の「贅沢」すらもできない「重苦しい」現状と、見るものが全て「借金取りの亡霊」に見える現状の悲惨ということです。

 そうすると、冒頭では確かに
  
     「背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのは
     その不吉な塊だ」

 と言っていましたが、ニュアンスが違ってきます。明らかに「借金」は彼の、二銭、三銭の「贅沢」も許さないほどに、彼を追い詰めているのです。つまり「背を焼く借金」は「いけないのではない」ではなくやはり「いけない」のではないでしょうか。でも彼はそれを認めたくない。

 ーとするなら、脊椎カタルも神経衰弱も、やはり「いけない」はずです。にもかかわらず、彼はそれを認めません。

 その、かたくなに認めさせないものは一体何なのでしょうか。


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