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大人の「現代文」111……『檸檬』2です。
不吉な塊って何じゃ?
昨日の続きです。
私はこの『檸檬』の冒頭文、こだわります。なぜなら、ここでいきなり文学の醍醐味である「葛藤」の正体が明かされちゃうからです。
再掲しますね。
焦燥と言おうか、嫌悪と言おうかー酒を飲んだ後に宿酔(二日酔い)
があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやってく
る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した肺尖カ
タルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金など
がいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。
なんかわかりづらいですよね。少なくともわかることは、その「不吉な塊」が、二日酔いのようなお決まりの感覚であり、「焦燥」とか「嫌悪」とも言えるものであること。彼は持病に肺尖カタルをもち、背を焼く借金を抱え、果ては神経的に病んでいるという最悪状態であるものの、そういう不幸からくる「不吉な塊」とは言いたくない「ちょっといけない」感覚だということです。
皆さんはどう思われますか?主人公は「不吉な塊」を、いやでいやでたまらないものと言っているのではありませんよ。一応「不吉」ではある、ではあるが、百パーセントイヤなもの、おぞましいもの、唾棄すべきものとは思っていないのです。「ちょっといけない」のです。まあ、芥川の『鼻』のような、長年つきあった「個性」のように、苦しめられるけれど、それが自分には、ある種の存在証明になっている、ないと自分がさだまらない、そんなもののようではありませんか。
もっと、言いましょう。
最後まで読むと、こういうふうになってきます。不吉な塊は、ある種高貴なものと主人公は思っている。「不吉な塊」礼賛。私はそう思いますが、皆さんいかがですか?