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大人の「現代文」115……『檸檬』6「みすぼらしい美」探求です。

「みすぼらしい美」のバリエーション


 主人公の語る「みすぼらしい美」もなかなか一筋縄ではいかず、「路地裏」「崩れた土塀」から「清浄な布団」までと、意想外のモノから極めて現実的なモノまで幅広く展開するので(コメントもいただきましたが、戸惑いますよね)次に何が出て来るのか気になりますね。さらに追っていきましょう。

    私はまたあの花火というやつが好きになった。

 なるほど。でも、この主人公またなんか変わったこと言い出しそうですね。   

    花火そのものは第二弾として、あの安っぽい絵の具や赤や紫や黄や 
    青や、さまざまの縞模様を持った花火の束、中山寺の星下り、花合
    戦、枯れすすき。それから鼠花火というのは一つずつ輪になってい
    て箱に詰めてある。そんなものが変に私の心をそそった。

 きましたね。「花火そのものは第二弾」です。それでは「第一弾」は何か?これは花火をまとめる「束」の模様とか色彩、あるいは箱に詰められている花火たちの「在りよう」(ですかね)それが「心をそそる美」というわけです。「花火」となる前の花火たちの「日常」に注目するわけです。これなら正しく「みすぼらしい美」にピッタリではないですか。少なくとも「路地裏」「崩れた土塀」や「清浄な布団」より、「みすぼらしい美」にふさわしい「みすぼらしさ」のように思えますが如何ですか?さらに続きます。

    それからまたびいどろという色ガラスや鯛や花を打ち出してあるお
    はじきが好きになったし、南京玉が好きになった。またそれをなめ
    てみるのが私にとってなんともいえない享楽だったのだ。あのびい
    どろの味ほどかすかな涼しい味があるものか。私は幼いときよくそ
    れを口に入れては父母に叱られたものだが、その幼時の甘い記憶が
    大きくなっておちぶれた私に蘇ってくるせいだろうか、全くあの味
    にはかすかな爽やかななんとなく詩美といったような味覚が漂って
    くる。

 出ました。南京玉はガラス玉ですかね。しかも視覚的に楽しむのではなく、「なめて」「詩美」ともいうべき「かすかな涼しい味」に見出す美です。梶井の独特な感性の真骨頂ですかね。

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