大人の「現代文」119……『檸檬』10逆説の美
オレは「美」をあきらめないぞ
前回、前々回と2回ほど寄り道しましたが、また本文に戻ります。 主人公の「みすぼらしく美しいもの」が面白どころのこの小説、指摘したように他人という「人間との絡み」という筋立てがないのですが、どこでオチをつけるのか、あるいはつけざるをえないのか、そのあたりを意識していただきたかったんです。
といっても、それは当然、その「みすぼらしくて美しいもの」を主人公が最終的にどう扱うのか、つまり、ただ単に羅列に終わるのか、それともそこに何か「劇的」な「事件」が発生するのかという二者択一になりそうですが、実際皆さんおわかりのように、あとで奇想天外な「爆発事故」が発生するわけです。
ですが、その結論に行く前に、もう一点、指摘しておきたいことがあります。
再々指摘したように、この小説の面白どころは「みすぼらしい美」という逆説的な、逆転の発想にあります。そしてそれが余りに独自であるが故に、どうしてもそちらに目を奪われがちになるのですが、当然のことながらそういう発想の根源には「ゴージャスな美」への希求があったのです。そしてそれはすでにさりげなく登場しているのですが「丸善」なわけです。いまや借金とりの亡霊にしか見えない丸善こそ、私にとってのみすぼらしく「ない」ゴージャスな美の殿堂であったのです。
その世界が今や彼にとって、手の届かない異世界になってなってしまった、その絶望感が彼の根底にあるのです。そして、それは要するに、「背を焼く借金」のせいなのです。冒頭に
えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。焦燥
と言おうか。嫌悪と言おうか
とありましたが、この「焦燥」「嫌悪」は、今や無一文に近い超貧乏な私には、憧れの「丸善」は全く無縁な世界になってしまった「焦燥」、そういう現実をうけいれがたい「嫌悪」ととると、スッキリしませんか?
でもそういう現実に「金がないから当然だよね」と従えないのがこの主人公の主人公たる所以なわけで、なんとしてもその鬱屈を晴らしたい彼の投げた骰子の一投のようなものが「みすぼらしい美」なわけです。すなわち、オレは絶対「美の世界」は諦めないぞ、という叫びの表現になるわけです。どんなモノにも美はあるんだ!という「負けない魂」の発露が、彼に「みすぼらしい美」という新たな「美の地平」を開かせたのです。もっと言えば、「美」は不可欠とする彼の「高貴な」意志の姿勢が、です。