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大人の「現代文」132……『檸檬』23全体を振り返ります

「檸檬」と「不吉」と「高貴」と「日本」


 最後に一つ重要なことを確認しておきます。もう一度、主人公が檸檬の魅力を再発見した感動の場面に戻りますね。

    実際あんな冷覚や触覚や嗅覚や視覚が、ずっと昔からこればかり探
    していたのだなと言いたくなったほどしっくりしたなんて私は不思
    議に思えるーそれがあの頃のことなんだから。

 主人公が「檸檬」を発見したのは「あの頃」のことであって、この檸檬の発見は、つい最近のできごとではないのです。要するにこの小説、過去のある時点の「回想」なのです。ですから最終文の

    そして私は活動写真の看板画が奇体な趣で街を彩っている京極を下 
    がっていった。

 この京極の活動写真の「奇体な趣」から「今」に至る、ごく最近の彼の内面は一切語られていないのです。

 まあ、何も語られていないということは、語るほどのものがなかったということでしょう。つまり、彼の「みすぼらしい美」の最大の発見がこの「レモン」ならぬ「檸檬」であったということです。

  で、ここからもう一つ

 「檸檬」の発見で、主人公は丸善(西洋)にただ負けるだけではない「日本」を発見したのだと私トミは思っています。「みすぼらしい美」探索の旅は、そういうまことに深い自己発見の旅でもあったわけです。西洋の「美」は圧倒的な力で私を支配している。その圧は普段は凄く魅力的です。でもときおり殆ど私を押しつぶしそうになる。その時は「嫌悪」の対象以外のものではない。同時にやっぱり求めるけれど「やっぱり」えられない、そういう「焦燥」にかられるのです。

 そんなふうに自分を「時に」翻弄する強力な西洋の美に比べたら「みすぼらしい」かもしれないけれど、自分(の心)には西洋の美とは違う「美」もまたあるはずだ。追い詰められた主人公には、そういう確信がきっとあったと思うんです。「不吉な塊」はそういう自分の根源を自分に問いただした。それに主人公は応じたのです。だから彼は「負けっぱなし」ではなかった。「不吉な塊」はそういう「プライド」「高貴なもの」を主人公に促したのです。その探求の到達点が「檸檬」という「単純な色彩」の「紡錘形」だったのです。それは、丸善に対抗するもの、丸善の向こうに広がる「えたいの知れない」世界に対抗する「素手」なようなものではありましたが、「日本」と言うしかないものではないでしょうか。

 私はそう読みます。だから、この主人公の「えたいの知れない不吉な塊」は主人公の、結核や多額の借金などという「俗な」悩みに直結させてはいけないのです。

 


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