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大人の「現代文」137『檸檬』と『舞姫』の近代的苦悩
近代的苦悩とは
前回、『山月記』の予告をしましたが、その前にちょっと『檸檬』追加書いてみます。
『檸檬』の感想を生徒に聞くと、たまに、『檸檬』の「えたいの知れない不吉な塊」が目に触れると、『舞姫』の「人知らぬ恨み」が思い浮かぶと言う子がいます。おそらく両者に共通する「知らぬ」と「知れない」に表面的な単純なワードではなく、何か人間の心の深いところでつながっているという意味での直感をしているようですが、さすがに生徒は鋭いです。
『舞姫』の「人知らぬ恨み」は表面的には「人には分からない、分かりようもない」恨み、なわけですが、この「恨み」という言葉には、「憎しみ」とは違うニュアンスがあります。それは、他者への「憎しみ」が自分自身への「憎しみ」でもあるという複雑性です。つまり「恨み」と言っても、事実上「恨めない」感覚、それが「恨み」なのです。その言えない感覚を形容しているのが「人知らぬ」という表現でしょう。
要するに豊太郞の苦悩は、いかに相沢が関与しようと、結局は豊太郞自らが招いた「自らの心の底にある感情」のなせる技であり、相沢に怒りを向けてもお門違いであるという「恨み」なのです。(『舞姫』の最後には「一点の彼を憎む心」と、分解されちゃいますが……。)
『檸檬』の「不吉な塊」にも同じような分裂があって、実はこの「不吉な塊」は今まで何度も経験してきた間欠的な感覚であり(宿酔)、これを分析すると、結局「えたいの知れない魅惑の塊」である西洋への気持ちが、自分の心の故郷である日本と激しく衝突する分裂と捉えられるのです。ということは、両者の行き着く先に、魂の根源にある「日本」が介在しているということです。
人間の心は、大海の海原のごとく、表面的には均一な世界が広がって見えても、水の底には、日本という陸地があって、それはなかなか見えづらいが故に、何も自分を拘束しているものはないと思っても、ギリギリの状況があったり、あるいはなくても、時にその分裂が苦しめるということです。
これが昔よく言われ、今は忘れ去られた「近代的苦悩」ではなかったですか?