大人の「現代文」52……『舞姫』いよいよ最後です。
エリスの絶望の意味するもの
豊太郞の手記は最終章を迎えます。
豊太郞が人事不省に陥り、うわごとばかりを口走っている間、エリスは手厚く看病していたのですが、ある日相沢が訪ねてきます。(そりゃそうですね)そして相沢は、豊太郞が彼に隠していた真実を全て知ることになります。
同時に、エリスもまた、豊太郞が彼女に隠していた真実を相沢から知ることになります。真実とは言うまでもなく、「豊太郞が相沢に(しばらく)エリスと別れると言ったこと」「豊太郞が日本に帰国すると大臣に言ったこと」です。要するに、豊太郞は「エリスと別れて一人日本に帰るつもりだ」という豊太郞の本心です。
それを聞くやいなや、エリスは突然その場で立ち上がり
「我が豊太郞主、かくまでに我をば欺きたまひしか!」
(私の豊様は、それほどまでに、私をだましていらっしゃったの!?)
と叫んで、彼女のこころは脆くも瓦解してしまった(狂った)と書かれています。
まあ、読んでいて、こっちが一番シュンとなる場面ですが、私は、この「こっちがシュンとなること」自体が、鷗外の計算だったと思っています。
つまり、これが、「百パーセント信頼する人を裏切ってはいけない」倫理(に違反した行為の帰結)なんです。
ここで、(相沢ではなく)豊太郞に怒りを覚える人は多いかなと思いますが、その怒りは横に置いて、そもそも、なぜ「怒りを覚えるか」ということです。「怒る」というのはある種の「自信」の表現ですよね。「怒っても良いのだ」という確信があって「怒る」行為が可能になるんですよね?そしてこの場合の「怒り」の源には「倫理的自信」があると考えてもいいですよね?
つまりここで怒る人は、「豊太郞は人間として、してはいけないことをした」というある種の絶対的自信があるから「豊太郞は、ダメなやつ」という断罪の怒りが生じるのではないですか?ではその「怒り」の「倫理」はどう具体的な表現に変換されるのでしょうか?
これが「百パーセント信頼する人間を裏切ってはならない」という倫理ではないでしょうか?裏切られたエリスには「絶望」しかないのです。「絶望しかないから裏切ってはならないない」のです。もしここでエリスが絶望するのではなく、怒りに燃えて復讐の念をたぎらせるといった展開になったら、そもそもこの小説、成り立たないですよね。(でも西洋ではありがちと思いませんか?)