見出し画像

大人の「現代文」136……『檸檬』27檸檬の爆発の究極意味するもの

これが最終結論です

 
 最後にもう一度この話の最大の謎である、檸檬の「爆発」について触れたいと思います。

 まず主人公は、レモンによって、不吉な塊から解放されて、「丸善」に向かったわけです。なぜ「丸善」なのか?それはそここそが彼に「みすぼらしい美」という概念を喚起させた原点だからです。「丸善」は美の象徴であり、この美に疎外されて醜に目を向けるという、美と醜(……はちょっと強すぎますが、突き詰めればです)とのアンビバレントな感覚こそ、時に彼を憂鬱にする「不吉な塊」の底にあるものでしょう。

 「丸善」の背後にあるもの、それは(話が大きくなりますが)、もはや日頃彼を虜にした「西洋」以外のものではないでしょう。だから底深く「えたいの知れない」ものなのです。彼がレモンで力を得て、「丸善」に「今日は一つ入ってみてやろう」と心を向けたのは、そこがなんとしても今の彼の原点だからです。憧れつつも、時に彼をはねつける、けれども離れられない第二の「故郷」だからです。

 察するに、当時の敏感な若者たちにとって、「西洋」とはそういうものだったでしょう。厳然としてそびえる憧れの対象、しかしそれは、本質的には自分を拒否する「入れない」世界です。だから拒否されても拒否されてもチャンスを窺って「今日は入ってやろう」と誘う場所なのです。

 そして、中に入ってもやはり、拒否は同じでした。大好きなアングルからも拒否されてしまったのです。途方に暮れた彼は、「レモン」を思い浮かべたのです。アングルの暗闇に浮かぶ白い女体の絵のような、暗闇に浮かぶ「檸檬」の登場です。彼はそこに「賭け」ました。そして檸檬は瞬時彼の期待に応えてくれたわけです。

 でもこの勝利を、実は彼自身は認めないのです。「檸檬」は第一の故郷「日本」であり、この永続的な勝利はありえないのです。つまり、この檸檬の勝利はかりそめのものでしかありません。この二つの故郷の相克に、「現実の」解決の道はないのです。

 とするなら道は一つです。ここで最終的な想像力の逃避が行われるのです。それが「ぎょっとする」けどおもしろい想像「爆発」だったのです。第二の故郷西洋の「現実の崩壊」はありえません。第一故郷「檸檬」の永続的な勝利もありえません。ならばもろともに一瞬の夢の中に放散させるしかないでしょう。このある種の自爆行為は、「ぎょっとする」と同時に、「変にくすぐったい気持ち」にさせるはかない放散でしかないのです。

 この瞬間彼を解放した「えたいの知れない不吉な塊」は、でもまた彼におそいかかることでしょう。彼の苦悩を引き継ぐ我々が、また別の「檸檬」を発見できるのか、それは、我々に与えられた宿題ではないのでしょうか。

次回は『山月記』です。
 
  

 

いいなと思ったら応援しよう!