大人の「現代文」90……『こころ』Kを裏切ったその後
ここから事実上のフィナーレになります
先々回の続きですが、先生が上野公園でKの生き方の矛盾を突き、壊滅的な打撃を与えた場面が『こころ』のクライマックスと書きました。漱石は、その直後の先生の心理を見事に描写していますので引用しましょう。
二人はそれぎり話を切り上げて、小石川の宿のほうに足を向けまし
た。わりあいに風のない暖かな日でしたけれども、なにしろ冬のこ
とですから、公園の中は寂しいものでした。ことに霜に打たれて蒼
みを失った杉の木立の茶褐色が、薄暗い空の中に、梢を並べてそび
えているのを振り返って見たときは、寒さが背中へかじりついたよ
うな心持ちがしました。(第一学習社 現代文より)
いかがですか?「寒さが背中にかじりついた」これこそが先生の「親友への背信」の心情です。倫理的な「悪」を犯したときの、うしろめたさ・うしろ暗さが、さりげなくかつ的確に表現されていると私は思うのですが、どうでしょうか。
で、この出来事の後、事は矢継ぎ早に展開します。夜中に隣の部屋のKが襖を開けて声をかけたという不審な出来事もあり、果断に富んだKに先を越されては大変と、突然焦り始めた先生は、仮病を使いKを出し抜き、奥さんにお嬢さんへの結婚の申し入れをします。事の唐突さに奥さんは戸惑いますが、もとより望んでいたことでもあるので、快く承知しました。こんな感じです。
(奥さんは)「よござんす、さしあげましょう」と言いました。「さ
しあげるなんていばった口のきける境遇ではありません。どうぞもら
ってください。ご存知のとおり父親のないあわれな子です」とあとで
は向こうから頼みました。(同)
事があっけなくすんで、かえって妙な気分になった先生ですが、なるべく早くお嬢さんの意志を確認してほしいと奥さんに頼み、あまりに落ち着かないので「獣のように?」歩き回ります。この行動・心理描写も納得ですが、細かいところは省略します。
で、帰宅したときに、先生の「良心」が復活するのです。注目部分ですが次回にしましょう。