大人の「現代文」36……『舞姫』 テーマの謎解きします
私は現代文教師ですから生徒から時に鋭い質問が来ます。もちろん、私は、私なりの解答を出します。むろん一般的に言われている定番の解答はまず言います。しかし時に私がその解答に必ずしも納得していない場合「私はこう読む」と言います。(定番の解答を納得しないからこそ生徒も質問するわけですから)
たとえば、この豊太郞の「殆ど拍子抜けの発言」をどう読むか、鋭い生徒はもちろん聞いてきます。それに対しては私は、こう答えます。
1 「豊太郞」は私たちのこころの中にもいること
これは豊太郞という「明治」という「近代人」の「超エリート」という特殊人の小説ではなく、「現代人」にも全く通じる普遍性を持っているはずということです。でなければ、生徒は「古いお話」として途端に興味を無くしてしまいますから。
2 ではどう読むか
ズバリ行きますね。
豊太郞は拍子抜けの発言の後で、すぐにこう言います。
「友に対しては否とはえ答へぬが常なり」です。
この、「友に対しては否とはえ答へぬが常なり」(友達にはノーとは言えない)は、実はすぐ直後の章で繰り返されます。それはこの委託された翻訳の仕事を一夜にしてなし遂げ、大臣の信頼を得てカイゼルホオフに足繁く通うようになった一月後、突然大臣にこう言われたときです。
「私は明日公用でロシアに行くのだが、君は随行できるか?」
この不意の問いかけは豊太郞を驚愕させますが、彼は、即答致します。
「いかで命に従はざらん」(もちろん、参ります)
ここでも、全く同じような「弁明」が繰り返されるのです。
余は「己が信じて頼む心を生じたる人に」(真に親しい人に)「卒然ものを問われたとき」(何かを依頼されたとき)「直ちにうべなふ」(イエスと即答する)ことあり。
え?ここで何かを思い出しませんか?
エリスもまた「己が信じて頼む心を最も生じたる人」ですよね。しかも「絶対私を捨てないでね」とすでに依頼していますよね。
すると、相沢(and天方大臣)とエリスという、「己が信じて頼む心を生じたる人」に、「突然ものを頼まれた」、という条件は同じですよね?いや正確には同じではないでしょう。エリスは豊太郞の子まで宿しているんですよ。エリスの方が相沢よりもっと「信じて頼む心を生じたる人」ですよね?にもかかわらず、なぜエリスを捨てて、相沢(and天方大臣)を選んだのでしょうか?