大人の「現代文」84……『こころ』これが本当の卑怯の正体です
精神的に向上心のない者は馬鹿だ
最初にお断りします。真の魔物は、「よそよそしい頭文字」のKではありません。先生なのです。もっとも、「魔物」を「悪魔」と少し意味を変えればですが……。先生の意味する「卑怯」の正体は、この自分の心の中に潜む「悪魔」を指していると思いませんか?
私は、この「悪魔」=「卑怯なる私」の正体は、表面「親友」の仮面を装いつつ、内実「相手を攻撃する」二枚舌の態度と考えます。二枚舌は一般論としてもよろしくないことであるわけですが、特に絶対的信頼関係にある親友に対しては絶対してはいけないこと、すなわち「親友倫理に反する」ことなのです。
でも、これをしばしば、単に「エゴイズム」と呼ばれて、混乱が生じてしまうのです。自分の欲得で動くことなら多かれ少なかれ人間誰しもするでしょう。もちろん、それは程度問題であって、百パーセントしない生き方を心掛けている人もいるかも知れません(それが他ならぬKなのですが、これは改めて問題にします)。エゴイズムそのものが問題なのではない。それを発揮する状況・場面が問題なのです。
重要なので繰り返します。『こころ』最大のポイントは、先生の言う自らの「卑怯」は自分の欲に走るエゴイズムなのではなく、親友に対して「欲に走っていないそぶりを示しつつ欲に走る二面性」だということです。
その具体的行動を先生自身の言葉で確認しましょう。前回引用の続きです。
Kが理想と現実の間に彷徨してふらふらしているのを発見した私は、
ただ一打ちで彼を倒すことができるだろうという点にばかり目をつけ
ました。そうしてすぐ彼の虚につけ込んだのです。私は彼に向かって
急に厳粛な改まった態度を示し出しました。むろん策略からですが、
その態度に相応するくらい緊張した気分もあったのですから、自分に
滑稽だの羞恥だのを感ずる余裕はありませんでした。私はまず「精神
的に向上心のない者はばかだ」と言い放ちました。これは二人で房州
を旅行している際、Kが私に向かって使った言葉です。私は彼の使っ
たとおりを、彼と同じような口調で、再び彼に投げ返したのです。し
かし決して復讐したのではありません。私は復讐以上に残酷な意味を
持っていたということを自白します。私はその一言でKの前に横たわ
る恋の行く手を塞ごうとしたのです。(第一学習社 教科書 現代
文)
先生の表現が明晰であればあるほど、先生の「二枚舌の悪魔性」がクリアーに浮かび上がります。先生は自分の行動の「滑稽さ」を百パーセント理解して、それに対して「(倫理的)羞恥」まで意識してるわけですよね?ただその時の雰囲気でそれらをごまかせたわけです。自らの二枚舌の卑怯を意識していることは明白ですよね?