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大人の「現代文」122……『檸檬』13いよいよ真打ちの檸檬登場!

逆説的な本当

 

 
  さて、いよいよ真打ち登場です。主人公は「みすぼらしい美」の終着点の「檸檬」に辿りつきます。

    その日私はいつになくその店で買い物をした。というのはその店に
    は珍しい檸檬が出ていたのだ。檸檬などごくありふれている。がそ
    の店というのもみすぼらしくはないまでもただ当たり前の八百屋
    すぎなかったので、それまであまり見かけたことはなかった。いっ
    たい私はあの檸檬が好きだ。レモンイエロウの絵の具をチューブか
    ら絞り出して固めたようなあの単純な色も、それから丈の詰まった
    紡錘形の格好も。

 まずはこのように登場します。ここから遺憾なくその「実力」を発揮する檸檬ですが、その登場のしかたは実に控えめです。まず檸檬はそもそもが「ありふれた」存在なのです。昨今の、陸上でも野球でもボクシングでも見られる、選手の派手な入場スタイルに比すれば、謙虚すぎる!そしてそもそも母体の果物屋自体からして、さっきの、夜はゴージャスな美の饗宴の場であったきらびやかな「果物屋」は「当たり前の八百屋」というふうに再定義されます。あれ?果物屋じゃないんだ!

 繰り返しますが、「檸檬はごくありふれている」存在なのです。さりげなく「みすぼらしい美」という彼の「美の渉猟」にふさわしい「化粧直し?」をしています。そして、檸檬そのものも同様に「普通化」されます。チューブからしぼり出したような単純な色、そして紡錘形も「丈の詰まった」形状なんです。この「詰まった」という表現、あまりスマートとは言えないある種のネガティヴなニュアンスを私は感じますが皆さんいかがですか?

 ともあれ、檸檬の登場は、およそきらびやかさのない、徹底した「普通」の存在、主人公の「みすぼらしい美」を求めた「道行き」にふさわしい登場シーンになっています。

 ところが、ごく普通のこの檸檬が、驚くべき力を発揮するのです。

   ー結局私はそれを一つだけ買うことにした。それからの私はどこへど
   う歩いたのだろう。私は長い間街を歩いていた。始終私の心を圧えつ
   けていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛んできた
と見え
   て、私は街の上で非常に幸福であった。あんなにしつこかった憂鬱
   が、そんなものの一顆で紛らされる
ーあるいは不審なことが、逆説的
   な本当であった。それにしても心というやつはなんという不可思議な
   やつだろう。

 あれ?これ、もはや「みすぼらしい美」ではなくなりましたね。一顆のレモンが、あの不吉な塊を退治するにはパワー不足ですが、「いくらか弛ませる」謎の実力を持っていたのです。

 

 

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