大人の「現代文」87……『こころ』クライマックス最悪の先生の行為
卑怯の頂点
先生は誰にも「お前は卑怯だ」と指摘されませんから、自らの卑怯行為をずんずん推し進めてしまいます。『こころ』中最も生徒が注目するクライマックス場面です。どうしても長くなりますが、引用しますね。
Kはしばらくして、私の名を呼んで私のほうを見ました。今度は私
のほうで自然と足を止めました。するとKもとまりました。私はそ
のときやっとKの目を真向きに見ることができたのです。Kは私よ
り背の高い男でしたから、いきおい彼の顔を見上げるようにしなけ
ればなりません。私はそうした態度で、狼のごとき心を罪のない羊
に向けたのです。
「もうその話はやめよう」と彼が言いました。彼の目にも変に悲痛
なところがありました。私はちょっと挨拶ができなかったのです。
するとKは「やめてくれ」と今度は頼むように言い直しました。私
はそのとき彼に向かって残酷な答えを与えたのです。狼がすきを見
て羊の咽喉笛へ食らいつくように。
「止めてくれって、僕が言い出したことじゃない、もともと君の方
から持ち出した話じゃないか。しかし君がやめたければ、やめても
いいが、ただ口の先でやめたってしかたがるまい。君の心でそれを
やめるだけの覚悟がなければ。いったい君は君の平生の主張をどう
するつもりなのだ」
私がこう言ったとき、背の高い彼は自然と私の前に萎縮して小さく
なるような感じがしました。彼はいつも話すとおりすこぶる強情な
男でしたけれども、一方ではまた人一倍の正直者でしたから、自分
の矛盾などをひどく非難される場合には、決して平気でいられない
たちだったのです。私は彼の様子を見てようやく安心しました。す
ると彼は卒然「覚悟?」とききました。そうして私がまだなんとも
答えない先に、「覚悟、ー覚悟ならないこともない」と付け加えま
した。彼の調子は独り言のようでした。また夢の中の言葉のようで
した。(第一学習社 現代文より)
みごとですねえ。思想に生きる若者が挫折に陥る瞬間をこれほど見事に活写した作品を私は知りませんが、もっと凄いのは、Kを奈落の底に突き落とす先生の「恥じ感覚」をかなぐり捨てたKに対する周到な打撃です。いかにもお為ごかしに、君のことを思うが故にこんな厳しいことをいうんだぞと表面振る舞いつつ、つまり百パーセント自分の身の安全を確保しつつ、完膚なくまでたたく、その偽善性です。先生は明らかにこの場面では善人面した「悪人」以外の何者でもありません。これが「罪」なのです。