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大人の「現代文」103……『こころ』人間の罪


  
  いよいよ漱石の『こころ』おしまいにします。で、私が注目する先生の最期の心情に触れておきたいと思います。
 誰しもこころの中に、心の拠り所とする幾つかの特別なことばを持っていると思います。そして何か重い決断をするとき、それは当然彼のこころを駆け巡るはずです。

 先生はKの死後、癒やしがたい思いを引きずりながら生き続けました。そして自殺を意識したときの重い心情をこのように綴っています。

    私の胸にはその時分から時々恐ろしい影が閃きました。初めはそれ
    が偶然外から襲って来るのです。私は驚きました。私はぞっとしま
    した。しかししばらくしているうちに、私の心がそもの凄い閃きに
    応ずるようになりました。しまいには外から来ないでも、自分の胸
    の底に生れた時から潜んでいるもののごとく思われ出して来たので
    す。私はそうした心持になるたびに、自分の頭がどうかしたのでは
    なかろうかと疑ってみました。けれども私は医者にも誰にも診て貰
    う気にはなりませんでした。 

     私はただ人間の罪というものを深く感じたのですその感じが私
    をKの墓へ毎月行かせます。その感じが私に妻の母の看護をさせま
    す。そうしてその感じが妻に優しくしてやれと私に命じます。私は
    その感じのために、知らない路傍の人から鞭うたれたいとまで思っ
    た事もあります。こうした階段をだんだん経過して行くうちに、人
    に鞭うたれるよりも、自分で自分を鞭うつべきだという気になりま
    す。自分で自分を鞭うつよりも、自分で自分を殺すべきだという考
    えが起こります。
私は仕方がないから、死んだ気で生きて行こうと
    決心しました。 (ちくま文庫 下 五十四)

 これが、先生の見詰める「こころ」に揺らめく黒いことばです。ここで私が注目するのは、上に出て来る「人間の罪」という表現です。この言葉自体は一回ですが、実は繰り返しているのが「その感じ」なんです。「人間の罪というその感じ」が、彼の心に常に重く鳴り響いているのです。「人間の罪」はあくまでも感覚的な「感じ」ですが、執拗に繰り返されるこのことばに、私はただならぬ重みを感じるのです。「人間」ならば誰しも感じるはずといった、ある普遍を先生(漱石)はこの言葉にこめたように思うのです。

 この「人間の罪」の中身についてはすでに触れました。「自分の個を封殺してまでも他者を信じきる、純な人間のこころ」を「裏切ること」がそれです。そしてその応報が「人間の罪の感じ」という「罰」です。「人間の約束」を破った自分自身を罰せざるを得ないという感覚です。

 先生は、徹頭徹尾「人間同士の信頼の関係」に目を向ける人でした。これが我々日本人の魂だと、私は思っています。

 

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