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大人の「現代文」127……『檸檬』18不吉な塊の正体はこれです

 アングルからわかること


 さて、ここから最大のクライマックスに入っていくわけですが、これから展開するこの主人公の「児戯」のような行動に関して検討する前にちょっと幾つか確認しておきますね。

 まず一つは、いま主人公は「みすぼらしい美」の探索で辿りついたレモンがもたらしてくれた「幸福な感情」が丸善に入ったところ「逃げて」ゆき、再び憂鬱な感情に浸っているということです。そして「アングルの絵」でそれがダメ押しになったわけです。「アングルの絵」です。

 そもそも冒頭にあったように、彼は「えたいの知れない不吉な塊」に襲われてかつて彼の心を満たしていた、西洋の美しい音楽も、美しい詩も彼のこころを満たさなくなったと冒頭に書いてありましたよね。それらの、西洋の音楽や詩に、ここでもう一つ仲間が加わったと思いませんか?

 そうです。西洋の「絵画」です。「アングルの橙色の重い本」は、単なるアングルの絵にとどまらず、西洋の美しい絵画と捉えて誤りにはならないでしょう。ここで彼の「憂鬱」は完全に姿を現し、

   ーなんという呪われたことだ。手の筋肉に疲労が残っている。私は憂
   鬱になってしまって、自分がぬいたまま積み重ねた本の群れを眺めて
   いた。

  となったわけです。彼の「えたいの知れない不吉な塊」すなわち「嫌悪」とも「焦燥」ともつかない「憂鬱」は、彼が絶対美として陶酔する「西洋のアート」から疎外された「憂鬱」と仮説立て出来るわけです。だからこそ、この憂鬱は、今彼を蝕んでいる結核や借金や精神不安、などという俗な理由で説明してはならないのです。

 いけないのは(結核、や借金ではなく、あくまでも)その不吉な塊なのです。生活や身体がどんな厳しくてもたいしたことはないが、西洋の美から見放されたらそれはもう「いけない!」のです。一大事なわけです。

 でも、いままで見たとおり彼の憂鬱は彼の結核や借金から来ているのは明白でしょう。にもかかわらず彼はそれを認めたくないのです。なぜならそれらを理由だてにしたら、美に陶酔する彼のプライドは維持できないからです。この不吉な塊は「高貴」なものでなければならないのです。

 ということは、自ずから明らかなように、「丸善」も単なる、外国産の文物を商う商店にはならないでしょう。長崎の出島のように西洋の文物がそこでしか味わえないなら、そして主人公がそこで美に浸る場所であるならば、そこは正に「西洋そのもの」の象徴になるはずです。

 でも、西洋そのもの、西洋の美と言っても、やはり何か広漠としていますよね。丸善に「西洋全体」を代表させるのは、ちょっと荷が重すぎるでしょう。丸善はあくまで、一つの「窓」に過ぎないでしょう。その背後にはなにやらすごい異世界があるはずですよね。「えたいの知れない」世界があるのではないでしょうか。「えたいの知れない」という表現は、彼の「憂鬱」の修飾表現であると同時に、彼に「憂鬱」を引き起こす「西洋そのもの」への修飾感情でもあるのです。

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