11.初めての本気土下座
大阪と実家のある四国を行き来するとき、俺は電車を使うことが多い。大阪〜岡山は新幹線に乗り、岡山で電車を乗り換える。
25歳のとき。実家に帰省していた俺は、大阪へ戻るため、いつも通り電車で岡山まで向かった。終電ぎわの新幹線に乗る予定で地元の駅を出発したが、雨の影響により電車が遅延してしまうハプニング。岡山に到着する頃には、最終の新幹線に間に合わないことが確定。岡山で一夜を過ごさなければならない。俺はこういうハプニングは好きだ。謎にワクワクする。
「どうしようかぁ……」悩んでいたが、幼なじみが岡山で一人暮らししていることをふと思い出した。その幼なじみとは成人式以来会っていなかったが、急な思いつきでLINEを送った。
《久しぶり! 実は電車で地元から大阪に戻ってるところなんやけど、雨で電車止まってしもて岡山で泊まらんとあかんなったんよ! もしよかったら泊めてくれん?》
ちなみに、その幼なじみは女だ。俺は泊めてもらうことに深い意味を持たない、ましてや地元の友達には。だから、全く躊躇せずにLINEを送れてしまった。あるいは謎のワクワク感による錯乱。いずれにせよ、いま思うとデリカシーなかったな。
その子とは保育園からの幼なじみで中学まで一緒。俺をいじる代表みたいなやつで、特に中学のときは、もはや戦いだった。
消しカスを投げあったり、肩パンしあったり(俺は軽く小突くぐらい)、名札を取りあったり、筆箱を投げられたり、その子のインシューズの紐をほどき、結んでいる間にもう片方をまたほどくっていうのをループしたり、「死ね」「お前が死ね」などと罵り合ったりした。
そんな2人のやりとりを見てみんなが笑って楽しんでいた。もはやネタみたいなもんだった。
高校を卒業したばかりの頃、その子を含めた数人と会う機会があり、中学時代のいじり合いの思い出話になった。そのとき、
「みんなが期待してる感じやったけんやってた」
その子が、そう言ったことに驚いたのを覚えている。
《いいけど、広島の花火大会から帰ってるところだから遅くなるけどいいの?》
その子から返信が来た。
こっちのことを気にかけてくれるなんて優しいやつだ。
のちに、その子に会ったときに聞いて知ったのだが、そのLINEで俺が遠慮して断ると思ったらしい……。そんなことに気付かない俺は、
《全然いいよ! たぶん俺のほうが岡山着くの遅くなると思うし》
呑気にそんなLINEを送っていた。
《分かった! 1回家帰ってから迎え行くから23時半くらいになると思う》
《了解!》
――岡山に到着。電車を乗り換え、その子に指定された駅へと向かった。
「久しぶり! ごめんごめん急に、ありがとう」
そう言う俺を、その子は温かく? 迎えてくれた(と思いたい)。
その子の車に乗り家まで向かっている道中、その日は土曜日だったので明日は休みだと俺は勝手に決め込んでいたが、仕事があるのだと、朝6時半には起きるのだと聞かされた。それを聞いて、もの凄い勢いで申し訳なさが押し寄せてきた。すまねぇ。
その子は、晩ごはんを食べていなかった俺のためにコンビニに寄ってくれた。ありがてぇぇ。
帰宅してすぐにその子は風呂に入った。時間はもう0時を回るか回らないかぐらいだったと思う。かたじけねぇぇぇ。
その子が風呂に入っている間に、俺はさっきコンビニで買ったカップ焼きそばの「一平ちゃん」を食べることにした。部屋はすごく綺麗にされていて、床には白い絨毯が敷いてある。
“絶対に汚してはならない”
ものすごい緊張感のなか、一平ちゃんづくりに取り掛かった。爆弾処理班が爆弾を処理するときって、きっとこんな感じなんだろうなぁ。
一平ちゃんの封を切り、麺の上にあるソースとマヨネーズを中から取り出す。もちろん何の問題もない。
突然お願いしたのに泊めてくれた人の家のポットでお湯を注ぎ、3分後、明日朝早くから仕事なのに泊めてくれた人の家のシンクにお湯を捨てた。問題なくクリア。
そして次が最大の難関、麺にソースをかける工程。「ふーー」っと息を吐き、首を鳴らして気を落ち着かせる。
“床に、絨毯に、絶対ソースをこぼしてはならない”
俺はテーブルに腹部を近づけた。これでもかっていうぐらいピタッと、ソースなど通る隙間もないぐらい目いっぱいテーブルに腹部をくっ付けた。
そして、恐る恐るソースの封を切る。ドバッとかけると汚してしまう危険性が高まると思った俺は、ソースの封をちょこっとだけ切って、麺にソースをかけた。
ぴゅーーーーーーーーーーーーーーーん
えーーーーーーーーーーーっ!?
飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで〜♪
もの凄い勢いでソースが飛んだ。俺は爆弾処理に失敗。テーブルにピタッとくっ付けたお腹に哀愁が漂う。
麺に向かってまっすぐ落ちるはずのソースは、俺の右ななめ前方の遥か遠くへ飛んでいった。ついでに俺の目ん玉も飛んだわ、マジで。ってかもう、いっそのこと俺の体ごと吹っ飛ばしてくれ……。
封の切り方が、ちょこっと過ぎたのだ。
ソースが飛んだ先は……床、絨毯、そしてベッドにまで及んだ。絨毯とベッドのシーツには、茶色のシミがド派手にこんにちは。「はい、こんにちは」言うてる場合かっ!!!!
やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい
めっちゃ最悪やん俺……。
なんとかせねば……。
とりあえず濡れティッシュでソースの染みを消そうとしたが当然無理だった。クッションで隠す……そんな愚案が頭をよぎったが絶対無理、というより人としてダメだ。何をしても所詮、無駄なあがき。
もう、どうにもならん………。
――ガチャ。
風呂場のドアが開く音。
俺は咄嗟に正座をして家主が部屋に戻るのを待った。
――ガチャ。
家主が部屋のドアを開くのと同時に、俺は頭を下げた。初めての本気の土下座。
「ごめん! 謝らなあかんことがある」
初めての本気土下座。
「何したんや?」
その子は薄笑いを浮かべる。
「こちらをご覧ください」
俺が手で示した先には、ソースで汚れた絨毯とベッドがあった。
「ごめん!本当にごめん!絶対汚さんとこうと思って、めっちゃ気をつけたんよ。めっちゃ気をつけてて、ソース絶対こぼさんようにテーブルにお腹ピタッてくっ付けて、ソースの封もちょこっとだけ切ったんよ。それがちょこっと過ぎてソースかけようとしたらぴゅーーんって」
俺は必死にことの説明をした。すると、
「もぉ……。いいよ」
一瞬の……に、肝を冷やしたが、その子は笑みを浮かべてそう言った。
その後も、その件をいじってくれたり、好きなミニオンの話とかしてくれて、気まずい空気にはならなかった。内心どう思っていたか分からんけど……。
翌朝、6時半に起床し身支度を済ませ、一緒に部屋を出て近くの駅まで車で送ってもらった。
突然夜遅くに泊めてくれとお願いしたにもかかわらず、わざわざ花火大会終わりに迎えに来てくれて、翌日は仕事で朝早いのに泊めてくれて、そして俺はソースで部屋を汚した。――迷惑のオンパレードだ。
中学の頃、いじり合ったり、罵り合っていた2人。その子に本気土下座で謝ることになるなんて。今回の件に関しては、俺に罵る権利はないから、おもいっきり罵られるのを覚悟して、俺はただ謝ることに徹しようと思っていた。だが、その子は俺を罵ることはなかった。昔の2人のままなら罵り合っていたと思う。ちゃんと時が流れているということを実感して、なんだか少し感慨深い気持ちになった。そもそもそれは、時が流れたことによってなのか、本来はお互いそういうやつだったのか。
思い返してみると、完全に2人っきりになったことって、そのときが初めてだったような気がする。
以前その子は言った。
「みんなが期待してる感じやったけんやってた」
俺とその子がいじり合いをしていたとき、罵り合っていたとき、必ず周りには人がいた。俺は俺の役割として、その子もまた、それを役割としていたのかもしれない。中学の頃、散々いじられたが俺はその子に対して腹を立てたり、嫌な思いをしたことが一度もなかった。むしろ「いじってこい」と、どこかで期待していた。それは、その子なりに、いじりとしての『越えてはいけないレベル』を感じていたこともきっとある。そして、お互いの共通認識として、みんなを笑わせるために、楽しませるためにという『意図』が一致していたからだと思う。当時、そんな話をしたことはなかったけど、お互いそれを感じ取っていたんだと思う。結果、よくウケたし、俺も楽しかった。
《あのときのお詫びしたいんやけど》
数ヶ月後、その子にLINEを送った。
《ちょうどシーツも絨毯も変えようと思ってたところやったし全然いいよ! むしろちょうど良かった》
いや、もうねぇ、震えたよね。
俺は泣きそうになった。こんなに優しい人だったとは思わなかった。中学の頃を思うと別人かと思う。でもやっぱり、本来はこういう人なんだな。
* * *
あのソース事件からおよそ半年後、地元で小さな集まりがあった。
地元の友達と個人的に会うことは定期的にあったが、集まるのは久しぶりで、成人式以来だった。
大阪での俺は、昔の地元での俺とは少し違う……。俺は、昔の俺のまま振る舞えるだろうか……。
俺はどう振る舞うべきか、みんなは俺をどう扱うのか、楽しみな気持ちと裏腹に気を揉みながら参加した。
集まりには、中学の同級生20人ほどか来ていた。そのなかに、その子もいた。
「前に岡山で足止めされたとき泊めてもらったんよ」
俺は、その子に泊めてもらったことをみんなに話した。
「泊めたん?」
「なんかもぉ、断れん感じやったもん」
「え、そんな感じじゃなかったやろ!?」
「花火大会で帰るの遅くなるって言ったのに、普通遠慮するやろ」
「え、そういうことやったん!? こっちのこと気にかけてくれてるんやなぁって、俺思ってたんやけど」
そうだったのか……。俺は反省した。
「泊めてもらったのにソースで汚してしもて……」
あのときの『ソース事件』の一部始終を、みんなに話すと「えーー最悪やん」「うわっ最低」とツッコまれた、というより猛批判を受けた。
「お風呂出たら、いきなり土下座してきたから何かと思ったわ」
そう言いながら、その子は笑ってた。
「本気で謝ってきたから許してあげた」
「マジであせったけん。実は一瞬クッションで隠そうと思ったんやけどな」
「はぁ!? ちょっと待って、前言撤回! それは聞いてない! うわ、最悪やん。それは許せん!!」
「いやいやいや、一瞬思っただけで実際にはしてなぁいから!! ほんとすいませんでした」
そんなやりとりに、俺も、その子も、みんなも笑った。なんだか懐かしい気持ちになった。地元を離れてから、久しくなかった『地元での自分』。俺が考えすぎていただけで、みんなの中の『俺』と『俺の役割』は、あの頃とさほど変わっていないように感じた。そして、そこにはあの頃の俺がいた。楽しかった。
その場に、俺の大阪のマンションに泊まったことがある友達が2人いた。
「あいつの部屋汚いけん」
「換気口のところホコリまみれやった」
俺の部屋が汚いと、いじりが始まった。いや、ただの批判か。
「えっ!? 泊まったときそんなん言ってなかったやん! そのとき言えよ。っていうか、まぁまぁ掃除しとったし、そんなに汚くなかったやろ! あと人の家の換気口チェックすんな、こまかいなぁ! ええやろ、別に!」
俺は笑いながら返した。挙げ句の果てに、
「蜘蛛の巣あったわ」
と話を盛られた。
「えーー、きたなっ」
「アホか! 蜘蛛の巣は無いわ!! いや、マジっっっで無いから!!」
必死に否定をする俺。
そんなやりとりに、みんなも、俺も笑った。やっぱりみんな変わってない。そして、そこにはあの頃の俺がいた。
その日、その子に『ソース事件』のお詫びに、1万円を渡そうとしたが、頑なに断られた。それでも俺は必死に渡そうとしたが、結局その子は受け取ってくれなかった――。
俺はこれまでの人生で何百回とカップ焼きそばを食べてきたと思うけど、ソースがあんなに飛んだのは、後にも先にもあのときしかない。まさかソースがあんなに飛ぶとは。一平ちゃんのソース飛ばし選手権でもあれば、上位入賞していたと思う。
泊めてもらってる時点で、すでに迷惑かけてるっていう気持ちが空回ったパターンやね。油断大敵って言葉があるけど、慎重も大敵だね。
大事なときやプレッシャーがかかる時ほど、いつも通りを心がけましょう。
そして、過ちを犯したり、迷惑をかけてしまったときは真剣に謝りましょう。どんな過ちも、きっといつか笑い話なります。というより笑い話にしましょう。まぁ、内容や関係性にもよるんだろうけどね。
ふふふっ。
今日の昼メシ、UFO食べよ