36. Y先輩はホッピーが好き
高校を卒業
専門学校進学のため、18年暮らした四国の田舎を離れ大阪へと旅立つ。初めての土地で、初めての一人暮らし、新たな人生のドアを開く。夜行バスに揺られることおよそ8時間――早朝6時、大阪に到着。バスを降りる。
「おつかれ」
Y先輩が迎えてくれた。
それが一歩目だった。
* * *
自分の人生を語る上で欠かせない人たちというのは何人かいる。家族、友人、親友、同僚など、さまざまなカテゴリーのなかで、特に同じ地元を離れ大阪の地で共に過ごしてきた友人というのは特別なものがある。そのひとりが、Y先輩だ――。
Y先輩との出会いは高校生のときだった。Y先輩は同じ高校のひとつ先輩。俺は野球部、Y先輩はサッカー部。うちの高校は野球部にも、サッカー部にも専用のグラウンドはないため、同じグラウンドを使う。部室も近い。直接絡みはなくとも自然と顔馴染みになった。俺は同期のサッカー部の連中と仲が良かった。その同期たちとY先輩はいつも一緒にいて、部活外でも仲睦まじく連んでいる様子をよく目にした。それでも、俺がY先輩と直接絡むことはなかった。気がつくと、俺の心にはある感情が芽生えていた。
――Y先輩と仲良くなりたい!!
決して変な意味ではありません。とにかく俺が見ている限りの印象は、「絶対いい人」だった。先輩後輩分け隔てなく絡んでいる雰囲気、見た目の雰囲気、なんとなくの雰囲気、そんな雰囲気を羨望の眼差しで見つめていた。迷惑をかけないよう気を遣いながら、相手の顔を伺いながら生きてきた俺の統計では、「絶対いい人」だ。
俺が所属していた野球部は、他の部活と比較すると、上下関係も含めて厳しいものがあった。あいさつだの、声が小さいだの、なんだのかんだので、叱咤や激怒はよくあること。例えば、あいさつ。どれだけ距離が離れていようが校内で先輩を発見した際は、あいさつをしなければならなかった。廊下の端と端、グラウンドの端と端、ミジンコみたいに小さく見える先輩に対して、立ち止まり、耳に届く声量で「こんにちは」、そして一礼、それが決まりだった。また、各教員や配達員などの部外者とすれ違う度に、同じように立ち止まり、あいさつをして、一礼。あいさつが大事なのは分かるが、ここまでする必要があるのか。
他にも、授業が終わり部室へ向かうとき。他の部活の生徒たちは談笑しながら歩いて部室へ向かう。いっぽうで野球部は部室まで走って向かわなければならなかった。特に1年のとき、さらに鍵当番のときは先輩たちを待たせるわけにはいかないので、猛烈な便意に襲われたときよりも必死だ。
部活のとき「声が小さい」と顧問が叱り飛ばしたことがあった。翌日の昼休み、先輩たちにグラウンドに呼び出され、我々1年1人ずつ全力で校歌を歌わされた――何回も――。先輩たちはニヤニヤしている。校舎の窓から生徒や教員までもがこちらを見ながらニヤニヤしているのが癇に障った。
野球部以外は、そんなふうに見えなかった。なぜ野球部だけ。他の部活が羨ましく思えた。そんな中で、目にする機会が多かったサッカー部のY先輩に魅力を感じたのかもしれない。
しかし、Y先輩と直接絡むことはないまま――。
チャンスが訪れる。
高2の秋。体育祭、俺とY先輩は同じ団になった。
「あ、Y先輩おつかれっす」
「おぉ、おつかれ」
それでも、あいさつを交わす程度で会話という会話はない。縮まらない距離感。Y先輩は、馴染みのない者と積極的に絡むタイプではないのだろう。
体育祭の最終種目、メインイベントでもある団対抗リレー。1年女子、1年男子、2年女子、2年男子、3年女子、3年男子、順番にバトンをつなぐ。俺はリレーメンバーだった。
体育祭当日。終盤、降雨に見舞われた。雨がやむ気配はなく雨足は徐々に強まり、皆の表情にも雲がかかる。体育祭は一時中断やむを得なかった。湿っていたグラウンドには、ちらほらと水溜まりが顔を出し始めた。次第に、今にも消えてしまいそうなほどに雨足は弱々しくなったが、なおも生きながらえている。協議の末、残りのプログラムは中止――
ただし、リレーだけは決行。
「おぉーー!!」
高揚感が雲を吹き飛ばし陽気が差す。やはりメインイベントでもあるリレーには皆が興奮する。雨の中で行われるということが助長した。小雨が降り続けるなか、リレーメンバーたちは靴を脱ぎ、ぬかるんだ地面を地肌で踏みしめながらグラウンドを歩む。地面に沈む足の感触と生ぬるい温度に心が躍る。たかが体育祭のリレーとはいえど、リレー前の緊張感と高揚感には不思議な感覚がある。1年女子たちがスタート位置に並ぶ様子を固唾を飲んで見守る。第一走者という重役、ご苦労さま。第一走者は全員同着だったらいいのにな。
「いちについて」
「よーい」
「パンッ!!」
1年女子がスタート。
団は3つ。我が団のバトンとハチマキは青葉のような緑色。黄と青と緑が凌ぎ合い、懸命に駆ける様子を目で追いかけながら自分の出番を待つ――。最後部を走る緑――。俺の前、同じクラスの2年女子が怒涛の猛追、1人を抜き去り2位へと順位を上げた。「この子こんなに速かったんや」感心しているところ、笑顔のその子からバトンを受けとった。俺の前を走る黄色のハチマキ、その距離推定3m。
――!!
黄色の走り方が何やら不自然だ。顔は下を向き、腰が引け、腕の振りは弱化、足取りが重そうだ。どうやら、ぬかるんだグラウンドに気を取られている。
――うりゃぁぁあああ!!!!
俺はぬかるんだグラウンドに目もくれず全力で駆ける。
――転んだら転んだときだぁぁぁ!!!!
2m……
1m……
ドッ!!!!!!!!
会場が沸く。見晴らしが良くなった景色、緑の女子が笑顔でこちらに手を伸ばしているのが視界に入った。俺の顔面はどんなだっただろうか、必死ながらも心の中ではドヤ顔ニヤケ顔だ、表面化されていたらと想像すると……きっもっ。俺も手を伸ばし、エメラルドグリーンのバトンを未来へ託した――。
そのまま、1位でゴールした。
「っしゃぁぁぁああ!!」
「やぁーーーー!!」
おのおの言葉にならない喜声をあげる。リレーメンバーたちが駆け寄り俺の肩を叩き、皆で肩を組み合い狂喜乱舞。ほとんど会話もしたことがない3年女子の先輩が、俺の肩を組んできたのには少しドキッとした。狂喜乱舞すると、こういうことが起こりうるのか。団テントからも人が駆け寄ってくる。同級生、先輩、後輩、絡んだことのない人までもが俺の肩を叩き称えてくれた。いま、この場所は晴天。
――!!
もみくちゃの人だかりの隅、Y先輩を発見。特に肩を組み合う様子も、騒ぐ様子も見受けられない。
――チャンス!!
俺は狂喜乱舞を利用してY先輩に接近、強引に肩を組んだ。狂喜乱舞すると、こういうことが起こりうる。そして、ひとこと、
「Y先輩のために走りましたよぉーー!」
何言ってんだこいつ、俺ならそう思う。
「おぉ、すごいやん」
肩を組み笑顔で応じるY先輩。
おそらくこれが、初めてちゃんと絡んだエピソードであろうと、お互いの共通認識として一致している。
だからといって、親睦が深まることはなく先輩は卒業。
――高校3年になった俺。
進路は混沌の末、大阪の専門学校へ進学することで固まった。ある情報を入手する。ある先輩が、その専門学校に在籍しているというのだ。
そう、Y先輩だ。
友人の協力を得て連絡先を交換。
入試の日には、Y先輩が一人暮らししているマンションに泊めてもらった。ほとんど喋ったことがないY先輩……正直めっちゃ気ぃ遣った………そりゃそうでしょ……。
――そして俺は、高校を卒業。
3月末日、夜行バスに揺られ早朝6時。新たな生活の幕開け、大阪の地へと降り立った。
「おつかれ」
Y先輩は、わざわざ迎えに来てくれたのだ。早朝6時、つまり、5時頃には起床し、電車に乗って迎えに来てくれたということ。
俺のマンションとY先輩のマンションは、徒歩5分ほどの距離だった。
上阪初日の晩、Y先輩を自宅に招いた俺は初めての自炊をする。それまで作ったことがあるものといえばインスタントラーメン。あとは家庭科の調理実習。初めての自炊、俺は2人分の焼きそばを作った。調子に乗った俺は完成した焼きそばにお菓子のベジたべるをトッピングするという暴挙に出た。いま思えば、Y先輩との距離を縮めるための行動だったような気がする。初めて作ったわりには焼きそば美味しかった気がする。俺センスあるような気がする。Y先輩は美味しいと言っていたような……気がする……気が……する……。
それから頻繁にお互いのマンションを行き来する。Y先輩がうちに来て漫画を読むだけ読んで帰っていくということもあった。この先も頻繁に会うのだから、本人の許可を得て敬語をやめた。高校の先輩で唯一、俺がタメ口で話せる先輩になった。
最寄りのスーパー、レンタルショップ、電車の乗り方・乗り換えの方法、繁華街への行き方、飲食店、アパレルショップ、雑貨店、家電量販店、あらゆることをY先輩から教わった。田畑や山に囲まれた故郷とは別次元の世界。土地勘がないうえに、かなりの方向音痴、それに当時の俺はガラケー。たとえ1人でもどうにかなっていたかもしれないが、その苦労は計り知れない。Y先輩がいなかったら……想像するだけで気が遠くなる。
それ以上に、Y先輩の存在は大きかった。
専門学校に入学した俺は、クラスメイトと馴染めず苦労した。[5.上阪での失敗 〜俺は枝豆〜 参照]
人生で初めて知り合いが1人もいないクラス、全員が初めて出会う人たち。俺がまず考えていたことは『嫌われたら終わり』ということ。とりあえず『嫌われないこと=迷惑をかけない』を心がけることにした。自ら積極的に話しかけることも、輪の中に入ることもせず、クラスメイトの様子を伺っていた――ひとりで大人しく――。
――気づいたら俺は、ひとりだった。
そんなふうに過ごしている間に、どんどんグループが出来上がり、慎重になりすぎた俺は完全に出遅れた。次第に俺は“大人しくて真面目なやつ”そんなレッテルを貼られた気がした。ここでは“大人しくて真面目な人”でいることが自分の役割で“人に迷惑をかけない”方法になった。学校が終わると、クラスメイトたちが複数で賑わっているなか、俺は真っ先に教室を出て独りで帰路についた。
何が迷惑になるか分からない、とにかく邪魔をしないように心がけた。それが自分の役割で迷惑になっていないのであればそれでいい、そう割り切ってはいたが正直寂しかった。休みの日も1人で過ごすことがほとんど。幸いにも地元の友達が数人いたから会うとすればその人たちだけだった。
Y先輩の存在がどれほど大きいものだったか。
俺は一度就職したのち、理学療法士の資格取得のため夜間の専門学校に通う、勤労学生になった。願書を提出する前、俺の決心は激しく揺いだ。一度は完全に朽ちたと言ってもいい。目指す大きな理由を失ったからだ。[29.分岐点は君がため③参照]
「もういいや」断念しようかとも思った。それでも奮起できた要因の1人がY先輩だった。当時、Y先輩は将来を見据え、国家資格取得のため働きながら学校に通っていた。将来を見据える、俺には無いもの。Y先輩の背中は一つの道標であり、刺激になった。「俺もがんばろう」そう思えた。
そして、現在に至る。
お互いに環境が変わり、以前ほど会う頻度は減ったが今でも親交は続いている。
高校時代のサッカー部の同級生(Y先輩からすると後輩)、お笑いコンビ・ジャルジャルの福徳似の通称・ニセトク。彼も高校卒業後、共に大阪の地で過ごしてきた肝要な友人の1人だ。このニセトクとY先輩と3人、現在も1〜2週間に一度は集う。
酒を飲むようになってからは、飲みに行くことが主。酒好きで食通のY先輩が店を選ぶことが多く、色々なものを食べた。酒の種類もY先輩によって知ったものが多い。例えば、俺がよく飲む赤玉パンチ、これを教えてくれたのもY先輩だ。そんなY先輩はホッピーが好きだ。周囲を見渡してもホッピーを飲んでいる人を目にする機会は少ない。俺の友人界隈でもホッピーを愛飲している人は、このホッピー先輩だけだ。俺がホッピーの存在を認知したのも、当然このホッピー先輩。そんなホッピー先輩は、一緒に家飲みをするときにも焼酎とホッピーを混ぜて飲んでいる。日本酒や焼酎が苦手な俺はホッピーを飲まない。
酒宴の最中、プロレス好きなホッピー先輩からコブラツイストや卍固めなどのプロレス技を喰らうこともしばしば。「いーーーーっ、ギブギブギブーーー!!」そんな俺も俺らしい。自分を取り戻した気分になる。
かつては、俺から強引に肩を組んだホッピー先輩。
今では一方的に体の節々を固く絞められる関係になった。
* * *
迷惑をかけないために、その場その場で自分を変える。各友人グループでもテンションやノリ、振る舞い方はそれぞれ多少異なる。自分の話題で深刻な空気にはしたくないので、基本的に悩みや愚痴をこぼすことは少ない、特に地元の人たちの前では。彼らといるときは、もはやそんなことは必要ない。酸素を吸い二酸化炭素を吐く、食物を摂取し糞尿を排泄する、それらと同じように、彼らといる時間によって自然に満たされるもの、取り除かれるものがある。娯楽や会話の中身は関係なくて、その空間そのものが、きっと俺が生きていく上で必要なもので、今の俺をつくってきたもので、俺が俺でいられる源のような、友人とか親友とかそういうものは超越しているような、きっとそんな存在。こんなことを改まって口に出すことはないけれど、口に出したところで強く否定し、はぐらかすことが目に見えてる。
俺がいつか死ぬとき、死ぬ直前の追憶の中、そのかなり手前にホッピー先輩は必ずいるだろう(ニセトクも)。そして、きっとこう想う……
「ライン」
あっ、ホッピー先輩からLINE
《急やけど明日飲みいける人いる?》
俺は、ハッピー。
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