記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

ゆずのライブに人生を救われた話

⚠このノートは最新のアリーナツアーについてのネタバレ(セットリスト・ステージ)が豊富に含まれております 事前警告いたしましたので本文読んでネタバレされた!というクレームは受け付けません⚠
⚠かなり個人的な想いや一オタクが抱えるクソデカ感情による妄言が豊富に含まれております セットリストや世界観等についての冷静な考察を期待してる方々の期待には沿えないかと思われますので、早めにお引き取りください⚠


俺は警告したからな!!!!!

Introduction……というかこれを書くことにした理由

「〇〇のライブに行って救われた」
「ライブで泣いた」
「ライブに行って見ている景色が変わった」

ネットの大海原を散歩していると、各地でライブがあった時なんかにこんな感じの文言を見るしようものある
また、ライブイベントがある度に色んなオタクがこんな感じでブログとかに思いを書き綴ったものもよく流れてくる

私は親がそこまで音楽エンターテイメントに興味があるわけでもなく、かといって自費で行こうにも小遣いがかなり少なくて中高生時代は特にライブイベントに行くことがこれまでほとんどなかった上、筆者のへそはかなり曲がってるので
「いやまさかぁwwwさすがに誇張表現でしょwww」
ってずっと斜めに構え、感想ブログも自己顕示や承認欲求のために書いてるもんだと思ってた

でも今回これでハッキリした
「この表現、嘘でも誇張でもない」
「今抱いてるこの感情をどこかに出力しないと何かが収まらない」

かと言って今回のライブは4ヶ月に渡る長期間のツアーなのでツイッt……もといXへの投稿なぞしようものならこれからの公演を楽しみにしてる人たちへのテロ行為に他ならない上、140字で収まるとはとても思えん(現にここまでですでに700字以上書いちゃってるし)ということで、このライブに私個人が抱えた想いやらなにやらを、noteに書き出して消化しちゃおうという算段となります

最初にも言及してますが、この投稿はライブのネタバレと筆者の個人的な思想と妄言がふんだんに盛り込まれてますので、ライブまだ行ってないし何も知らない状態で行きたい!って人や世界観について冷静な考察が読みたい!って人には不適な怪文書となります
また、本文中に出てくる人物名は愛称を含め全て敬称略とさせていただきます
この辺に該当しないで長文投稿に慣れてない(なんと筆者、ネットに10年以上住み着いていながらnoteはおろかブログの類は初投稿なのである)人の自己満足な文章を読む時間がある物好きはここから本編スタートとなりますので、よろしくお願いします

この二日間に至るまでの前日譚(長いからパスしてもいいよ)

ゆずっことしての生い立ち

「私はゆずが好きだ」
そう明確に、ファンと言えるまで熱量が上がったのはいつの話か覚えてない
だけど、10歳くらいの頃、親の車のラジオで流れてた虹を聞いて衝撃を受けたことは今でも覚えてる
そんな話を両親とした時に、母が結婚前社会人だった頃にサヨナラバスが好きだったと言っており、母がレンタルCD屋でGOINGとHOMEと、当時出たばっかりだったYUZU YOUを借りてきてくれて、家や車で文字通り擦り切れるまで聞きまくってたことが恐らく起源だった気がする

長野という地方都市に育ち、家族柄もあってか最新のドラマやアニメも周りに比べればそこまで熱心に観ていたわけでもない中でこんな衝撃を受けた私は、流行りのアイドルソングなんかには目もくれず、ただひたすらゆずやそれに似た雰囲気を感じるアーティストの曲を聴いてる、ちょっと浮いた学生に育った。

「ゆずのライブに行きたい」
と思うようになったのは明確に覚えてる
2013年アリーナツアー「GO LAND」にて、会場の一つに長野が入っていたのだ
「あのゆずが地元に来て、ライブをやっている」
当時は中学生で自分のスマホなんかなく(っていうかスマホなる物が定着してるかしてないかくらいの時期だったような……)、父が仕事に使ってる自宅のPCくらいしかなかったから自由に使えなかったしSNSなんてもちろんやってないのになぜかこれを知っていたのを覚えてる
それ以降、ライブの情報がある度に行きたいと親にせがんでみたはいいが、毎回「自分の金で行きなさい」とあしらわれる始末
中高生時代のあってないような額の小遣いじゃ当時のそこまで高くなかったチケット代さえ無理で、地方在住の宿命として都心でのライブに行くには高額な移動費や宿泊費まで発生する。早い話希望には沿えなかったということだ
高校時代はバイト禁制の学校に通ってたので、法律上は自分で稼いでライブに行くことができたのに、と枕を濡らし続けた


そんな私にチャンスと挫折が2回、しかも2年連続で訪れる

最初のチャンスは2018年、翌年に史上初の"弾き語りによる"ドームツアーの開催が決定した
後にゆずのみ 拍手喝祭と命名されたこのツアーは、ちょうど私の大学進学後という最高のタイミングでの開催だった
私は東京の大学に進学を希望していたので、東京ドーム公演は受験を頑張った末の最高のご褒美になる
そう思い第一志望の学生になってゆずのライブも行く、という青写真を描きながら必死に勉強した

だがしかし、ここで第一の挫折が発生した 大学受験に失敗したのだ
当時の大学受験戦線は、今となっては過去のものとなりつつある大学入試センター試験の廃止が目前に控えており、浪人すれば絶対に浪人したくない現役生との椅子の奪い合いが発生する上に私立大学入試についても定員に対して余分に合格者数を出すと国からの補助金が減る圧力の真っ最中だったので面白いように大学に落ち続け、果てには浪人をすることになった
一応合格は出ていたには出ていたのだが、地元の公立や私大でも地方のキャンパスのもので、自分が行きたかったレベルややりたかった勉強、これら以上に上京することに執着していたため浪人という選択をすることになった

現役合格に甘えれば拍手喝祭に行ける、そういう考えもなくはなかったが当時の私は身分不相応な将来の夢を掲げてたため、一回のライブに人生を捨てられないと思い、当時の友人に取ってもらってたチケットも他に流してもらい、翌年にライブがあれば絶対に行くと決意しながら1年間死ぬ気で勉強し続けた

そんな浪人の最中に二回目のチャンスが訪れる
ここまでの記述した時系列で察しのいい人は分かっているかもしれない

そう、YUZU ARENA TOUR 2020 YUZUTOWNである

しかもこのYUZUTOWN、ツアー最初が3月に、長野での公演だったのだ

この発表はゆずのみ拍手喝祭以上の衝撃をもって私に迎えられた
私が最初に行きたいと思った地元の公演が、しかも長野を大学進学で離れる直前にある
これは冗談抜きで「俺のためにあるライブ」と思った
今度こそ青写真の実現のために、前回とは別の方だったがまたしても友人にチケットを確保してもらい、自分は文字通り命を削って勉強した
結果として東京の大学にはまたしても悉くフられたが、ご縁があって京都の大学への進学が決定し、さあライブ行って上洛だと意気込んだ

この先に訪れた第二の挫折は当時からのゆずっこどころか全世界の人が想像できよう

新型感染症の世界的な流行に伴い、YUZUTOWNは全ての公演が中止された

2月~3月初旬当時はなんかきな臭くなってきたな、くらいの感覚だったことを覚えてる。
だが3月の日が進むにつれてどんどん情勢が怪しくなっていき、遂に中止が発表された

このお知らせが発表された時、私の中で全てが崩壊した感覚があった
2年間全てを犠牲にしてつかんだものが世界情勢であっけなく霧散していったのだから、その感覚があっても仕方ないであろう
それでもまだ振替もあるかもしれない、そう自分に言い聞かせて慣れないコロナ禍生活をしていたその時、全公演中止という最悪の報せが来た

挫折の末のゆず離れと復帰

この頃から私自身の心境にも異変が起きつつあった
2年間命を懸けて受験戦争に臨み、勝ち取ったと思えばコロナ禍が発生し、登校もできないから友人や先輩もできず分からないことを聞く手段もほとんどなく、大学の成績も乏しいというこの状況でだんだんと心が蝕まれていっていた
そんな最中ゆずの二人はオンラインツアーや声出し禁止とはいえライブを開催してくれるなど、何とかして歌を届けようとしてくれていたが、何年も全力疾走し続けた結果世界にそっぽを向かれた私には、その想いがいつからか届かなくなってしまい、ゆずの歌を聴くことそれ自体に苦痛を感じることさえあった
また、昔から仲が良かったゆずっこと疎遠になってしまったり、逆にコロナ禍中に関わってたゆずっことの人間関係が歪んでしまったことも、私の中でゆずが離れてしまったことに加担してしまった

ここから次の転機までは私の人生の話についてはゆずがほとんど登場しないので、あるタイミングでついに精神が崩壊して精神病になり、大学にも通えなくなり、休学の果てに流浪の身分となったと簡略な言及をしておく

こんな最悪の状況が続いた中で、一つのある転機が訪れた。

YUZU TOUR 2023 Rita -みんなと、またあえる-

正直な話をするとこのライブ、本当なら行く予定がなかったのだ
理由は自身の身体的・身分的な状況が不透明だったことと前述の私の中でのゆず離れ、そして発表段階ではまだ感染症の影響が残っていたことからどうせ声出し禁止の制限下で行われると思っており、感染症の気配が少しでも残ってるものには近付きたくなかったという思いもあって食指が動かなかった
ここまで興味を失った自分を当時でも「もう俺もここまで心が離れちゃったか……」って思った
しかし院進で京都に引っ越してきたゆずっこの友達がいて、その友人も受験の関係でチケットが握れてないけど大阪公演行きたいよね~って話になり、リセールで何とかして取れないかと画策しだした
結局リセールを手にすることはできず、当日券を取ることになる

Day1の当日券は当然取れなかったわけなのだが、ここで自分の中のなにくそ精神に火が付き、家で通信する回線をどう繋いだら速くなるかを画策して翌日のDay2当日券チャレンジに臨んだ

結果、まさかのDay2当日券が友人分共々取れてしまったのである

大学で勉強している友人に大急ぎで連絡をし、心も持ち物も準備がままならないまますぐに京阪電車に乗って会場の大阪は中之島・フェスティバルホールまで向かった

当日券勝ち取った当時のLINE ツアー発表時の興味のなさはどこへってくらいウキウキしてる

そしてこのライブのミラクルはこれだけに留まらない

なんと、取った当日券の席が前列真正面だったのである

当日券なのだから機材席解放とかで端の席とか、見切れの余りとかでも十分なのにも関わらず、あまりにも良すぎる席を引き当ててしまった

あまりの両席に現地で発券した時に二人とも素で「えっ?」って声が出てた

ここまで来たらもう後は楽しむだけである

このツアーはアルバム引っ提げではなかったので代表曲・表題曲が多く、ゆずに復帰せんとしてる私にはとてもいいライブだった
それだけに留まらず、「Rita」が何たるかを悠仁がMCで説明したのを聞いて「ああ、この二人は私みたいにどれだけ傷ついて絶望して、心がゆずから離れそうになってもずっと寄り添っててくれたんだ」という確信に近いものを得た
そして改めて「やっぱ俺、ゆずが好きなんだ」という確証も自分の中で得られた

Rita参戦時の私 ゆずが好きだという想いを取り戻し、
またライブ行こうってこの時には思えていた

そして、Ritaツアーが終わり、諸事情により行かなかったKアリーナ杮落し公演HIBIKIを経て発表された次のアリーナツアーの日程を見て、私は最初からの参戦を決意する

2024・2025アリーナツアー発表とそこへの想い

やっと本ツアーに言及する項までたどり着けました(笑)ライブ参加に込めた想いのために必要だったとはいえここまで4700文字超とかいくら何でも長すぎんねん

さて、当時はアルバム名もツアー名も伏せられたまま日程が発表された訳なのだが、これを見てある事実に驚愕することになる

ツアーが始まる地が長野である

ここまで長々と書いてきた中にもあるように、アリーナツアーで最初の公演が長野、つまりYUZUTOWNを想起させる日程だったのだ

私の全てを壊したあの忌々しい感染症によって中止されたあのYUZUTOWNの再来、それだけで地元長野の人としてはうれしくて仕方がなく、長野という地方都市にも関わらずツアースタート公演ということでそれなりに取りづらかったチケットも何とかして取れて一段落したところで、ある想いが私の中に巡ってきた

自分の中で、コロナ禍と決着が付けられるかもしれない

前述の通りコロナ禍で京都への引っ越しが遅れ、大学でも対面で授業や活動ができなかったことから人間関係の形成に悩み、学業の相談もなかなかできないまま成績不振に陥ったことから精神病を発症してしまった私ではあるが、「実際のとこゆずの二人がどう思ってるかは分からない もしかしたらたまたま今回も会場押さえるのにちょうどよかっただけかもしれないけど、その発端の象徴になってしまったYUZUTOWNのように長野でツアーを初めてくれたゆずで、埋め合わせとまではいかないかもしれないけど、自分の中であの時期のことを受け入れる下地ができるかもしれない」
そう思いながらツアーまでの日々を生活していった。本旨から離れるので仔細は割愛するが、途中病気の方でどうしようもないくらいに絶望したことも起きてしまったが、症状や入院、治療で辛い思いをすることが多々あったにも関わらず今日まで何とか生きていられるのは、ゆずにそっと心を支えてもらったからと言っても過言ではない

YUZU ARENA TOUR 2024・2025 図鑑 当日二日間を経て(ここからセトリ等が出てきます)

やっと当日の話です 長い、話が長すぎる
ライブ自体には一人での参加だったが、旧来の友人が複数名来ていたので、物販の後に早めに合流してご飯やお酒を飲んだりグッズのガチャガチャ回したり、2日目はバッティングセンターで時間を潰したりと、久しぶりに人との濃密な時間を楽しめていた


長野駅の酒屋さんでこんなものがふるまわれてたので、真昼間から飲んじゃいました
旧友たちと久しぶりの集合……写真代わりのゆず太郎たち

ここからはライブ内容にガッツリ触れます、戻るなら最後のチャンスですよ

いざ、「忘れ物」を取りに!

開演前のアナウンス
開演直前の挨拶の諸注意アナウンスの時に、2020年3月のYUZUTOWNが中止になり、4年半越しのライブ開催であること、いよいよこの長野から図鑑ツアーが始まるが明言された
悠仁と磯貝サイモンのインスタで長野への思いが語られてはいたものの、アナウンスで改めて言われるとこみ上げるものが大きかった


完全に不意打ちを食らった私、ライブ開演前から既に感極まる不測の事態 さあ私、この先生きて帰れるのでしょうか……
また、今回のステージセットは後に出てくるLAの映像のような荒涼とした土地を想起させるものとなっていて、これがどういうメッセージを持つのか?という想像が掻き立てられていく

Day1はスタンドだったので上から俯瞰 ステージの地面は荒涼としている
Day2はアリーナだったので席への移動がてらほぼ正面から
開演前のステージ、ライトがなんか昨日よりカラフルじゃね……!?

Overture -harmonics-~図鑑
ライブ開幕と最初の今回の曲はアルバムの世界観の根幹となる、アルバムの最初のOverture -harmonics-と図鑑
ツアー開始直前に公開されていた、悠仁がLAまで渡って撮影したEXOBIOTANICA3 -Botanical space flight-の映像と共にOverture-harmonics-で開幕

「めくるたび広がる まだ知らない謎だらけの世界 そっと開く」
「とびこむ未来へ 覚悟決めて dive」

ゆず「図鑑」歌詞より

図鑑をめくり、まだ知らない知識に巡り合うあの瞬間はまさにどんな曲が流れるか、どんな演出で彩られるかわくわくしてるライブの開幕にうってつけの曲だった

「めぐる旅 見つける それぞれの図鑑を今 そっと開く」

同上

の歌詞が、ツアースタート公演なのも相まってゆずの旅が始まることを知らせてるように感じれた
個人的には

誰もが また立ち止まるけど また歩き出すんだ まだまだまだまだ

同上

の歌詞が私のゆずっことしての魂、そして人生が一度止まってしまったけどゆずの二人のおかげでもう一回進もうと思わせてくれたことの象徴のようで、更に私の情緒にワンダメージ

かける
早くもこの曲で初日の私の情緒は完全に崩壊した

「選べる選択肢 どれだって自分だし
黙ってうるさいよ もうほっといてよって
背を向けうずくまり 両手で耳を塞いだ」
「お膳だてされたもの 本当に欲しかったもの
違う違うよ 何かが違うんだ」
「現れた分岐路 滲んだ町の色
怖いよ辛いよ もう逃げ出したいのに
震える胸の奥 消したはずの思いが今 叫ぶ」
「いっそ降りてしまおう もう一人の自分が呟く
『誰も責めない』 禁断の実に手が伸びる」

ゆず「かける」歌詞より

心が壊れてから、何回こう思ったか分からない
それでもこの曲は

「描け 描け 描け 破れてしまった 夢のチケット 掴め 進め もう一度」
「生きろ生きろ生きろ 明日へ繋いだ 希望の声よ 響け 君へ 届け」

同上

とどうにかして支えてくれている、その支えが暖かすぎて初日は誇張抜きに完全に泣いてた

大きく見えた壁 見下ろせばなんてちっぽけ

同上

かけるの歌詞と同じく、いつか最後にはこう思える日が来ることを願って

初日はご乱心につき演出など完全に見えてなかったのだが、二日目にちゃんとステージ全体を見たときに、ステージ上部に設置されてた5×5ドットの証明兼ディスプレイに「0」と「1」が表示されてることに気づいて「アッッッ」って声が出た 完全にMVの世界観を表現しにかかっている……!

MVまだ見たことない人だけじゃなくて図鑑ライブ参加した人も改めて見てほしい ってかかけるがもう9年前の曲……!?

RAKUEN
しんみりした雰囲気はおしまい!とばかりに悠仁の煽りによるコーラスと共にRAKUENのスタート!
悠仁が「なーがーのーーーーー!」と叫びながらセンターステージへ

「楽園と誰かが呼んだって ぎこちなくて ここじゃぬるくて
ふやけそうな毎日の 安住を垣間見てもしらんふりしようぜ」
「叱責の嵐が過ぎ去って 凹んだって その分伸びて忘れてた覚悟と
現住所わきまえずに ハングリーだして
出世魚になりたい ダメ人間でも結構!Let's go!
躊躇ってもいつか悔やむ」
「楽園のルールに則って 押し黙って 取り繕って 笑いあう毎日じゃ
予定調和ばっか気が狂いそうだ」

ゆず「RAKUEN」歌詞より

楽園という安住の地があってもそんなのに妥協しないでもっと挑戦していこう、という明るい意味でポップな雰囲気で世の中に中指を立てる姿勢が、図鑑の世界観に当てはめるならゆずという図鑑はまだ完成してないぞ、というまだまだ二人の挑戦は終わらないってメッセージがすでに伝わってきて、まだ開幕したばっかなのにゆずが度々言ってる「変わらないもののために変わり続ける」が体現できた
自分より20以上も歳離れてるはずなのにこの二人のなにくそ精神は今でも本当にすごすぎる

MC~みぞれ雪
ここで改めてゆずからの挨拶とMC
YUZUTOWNについて、ゲネプロまで終わらせて後はお客さんを入れるとこまで行ったのに中止になった悔しさが改めて悠仁の口から聞けて、今度は感傷ではなく、人生で一番「ああ、俺長野出身でよかった~~~~~~~~!」という嬉しさがこみ上げてきた
そして、この公演は秋にやっているけどツアーは冬に向かっていき、年を越えるけど冬の曲を何曲かやるよ、というMCで楽曲披露の再開 まあ初日はホンマにここ長野かって思ったくらいには秋とすら言えないクッソ蒸し暑い日だったがな

冬のナンバー一曲目は、みぞれ雪
もう付き合いが長くて恋人というより……?な関係になっても、付き合い始めた頃のような変わらない気持ちはあるぞっていう二人の物語の曲
「知ってる~?」って悠仁が客席に聞いときながらモニターに歌詞を表示させてて歌わせる気満々だったのはちょっと笑った
みぞれ雪、個人的には特に2番以降にクリスマスの味がする曲だと思っている

「今宵は照れる気持ちを抑えて いつもよりちょっとオシャレをしたら 君を誘いに行くよ
振り返るばかりじゃ脳がないけど 忘れちゃいけない場面もあるよ もう一度あの海へ行こう」
「いつもと同じ町の景色さえも ロマンチックに輝かせるから 時間通りに待ってておくれ……」

ゆず「みぞれ雪」歌詞より

もうお互いが何考えてるかくらい分かるわ、ってくらい関わりが深くなった人ほど何か特別なことがないとそんな気持ちを伝えられない、そんなありふれた日常になりつつある物に隠れようとした大切なものを掘り起こそうという曲、こんな関係性いいよな…… まあ私まだ恋人できたことないから友人とかにしかこんな気持ちになったことないけどね、ははは……

いつか
冬のナンバー二曲目、「ゆずの冬の曲と言えば?」の質問に対して真っ先に出てくるであろういつか
今回はイントロからピアノメインのアレンジで、CD音源よりもしっとりと聞かせる意図を感じられた
いつかは披露回数が多い曲なので、筆者は映像等で昔のライブ披露を全て追い切れてる訳ではないから過去似たアレンジが出されてるかは知らないが、当日これが出てきた時は「これ(ピアノアレンジ)、ゆずのオタクなら絶対一回は妄想するやつ~~~!」ってなりましたわ
後、今回のいつかは演出がすっごい綺麗だった
スモークを焚かれたステージの上で歌い、前面の巨大なモニターにモノクロで演奏中の二人のバストアップが背中合わせで映し出され、雪が降るエフェクトがいっぱいに散りばめられた、言ってしまえばかなりシンプルな演出だったのに、この時は本人よりも映像の方にかじりつくように見入っていた
この映像に今のゆずが解釈するいつかの世界観が全て込められている、そんな気がした

MC~シャララン
曲に入る前にMCと来場者数の発表
この時にもYUZUTOWNのことについて触れてくれて、悠仁もよっぽどあの中止は悔しかったんだろうなあっていう事実がちゃんと自分の中で吞み込めるようになってきていた
来場者数は両日共に6800人ほど、この時悠仁は毎公演1人単位まで言ってくれるのが、お客さん一人ひとりをちゃんと見てくれてるんだなあって毎回思ってる

冬のナンバー3曲目はシャララン みぞれ雪とは打って変わって、なかなか会えないから寂しいという初々しさが爆発してる一方でかなり曲調はのほほ~んとした曲
この曲もみぞれ雪よろしくリリースから時間の経った曲で知ってる~?って感じになりがちなのに歌詞をモニターに表示してて歌わせてくれる辺りが優しい シャララララランラ~ンってみんなで歌うのも楽しかった
後、この曲にあるリコーダーパートは今回はヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ+バンドマスター磯貝サイモンの担当 悠仁が「一生懸命練習しました」って紹介していた

つぎはぎ
今回のアルバム、ひいてはツアー(長野公演段階での)披露唯一の岩沢作曲ナンバー
サブリーダーの曲は毎回世間に対して斜めに見ているようで本質を突いた曲を作って来てくれて、へそが曲がってる筆者は毎回のように共感している

「ゆっくりと行ったって 別に貴重なことなどない
むしろギリギリ詰めていったって 何も変わることはない」
「何を思ってんだか 何に怒ってんだか 言葉も見失う時代に
何を待ってんだろう?目を閉じた未来は とうに過ぎ去っていった」

ゆず「つぎはぎ」歌詞より

毎日さらされている日常に対して確固たる意志を持って考えを貫くこのサブリーダーの感性、見習いたいなって思ってる

SUBWAY
地下鉄の車窓である蛍光灯のラップの映像が流れ、段々列車の速度が落ちていき、最終的に一つの蛍光灯の箇所で止まったところでこの曲は始まる
この曲、今回のアルバム収録曲の中でも個人的な思い入れがかなり大きい曲である
先に言及している通り、Ritaの公演に参加したことがゆずがやっぱり好きだという再確認をできたライブだったのだが、そのRitaに合わせて作曲された曲というのもあるし、その時の心境を悠仁は見透かしていたのかってくらい歌詞が当時の自分に当てはまっていた

「手にしたもの - 失ったもの = かけがえないものか 掛け違えたものか」
「本音を押し隠し 善人であろうと 倫理と欲望の間でもがく」
「玄関(とびら)を開ければ並んだ靴が 薄明りに独り 布団に包まる
失って初めて大切だと気付きたくない 臆病に日常にしがみつくんだ」

ゆず「SUBWAY」歌詞より

この辺りの歌詞の通りの事にもがきながら数年間を過ごしていたのはもちろんあるのだが、初めてRitaで聞いたときに一番刺さったのは

「数えきれないほどにあやめた 本当の自分の亡骸達を
背負い込んだ責任(おもに)誰もが引きずり歩いていくんだ
見えない明日へ それでも明日へ」

同上

この部分である
筆者が自分が癒えることのない心の傷を負うことになった原因の一番は、本音を誰にも言えない所まで自分を追い込んでしまったことにある、と考えているので、かなり図星だなって思った一方でみんなが同じような思いを抱えて生きているんだな、と思えた
そして私がゆずが好きだという再確認が自分の中でできたときに、ちょうどトンネルを抜けたような感覚だったので、正しく歌詞中の

「今はまだ地上の光 あまりにも眩しくて」

同上

の状態だったのである
今はまだ眩しいと感じてもいい、これから目を慣らして地上の景色を見れるようにすればいいんだ そういう感情を抱かせてくれたのがこの曲だったのである

十字星
SUBWAYの披露中からモニターで走っていた電車がトンネルの中を前に向かって真っすぐ走っていき、トンネルを抜けた先にある赤色巨星と満点の星空、十字星のイントロが流れながら映し出された地下鉄には不相応なくらい豪華なボックスシートと車窓を見て全てを察してあっと小さく声が出た
これ、銀河鉄道の夜だ……!
筆者は銀河鉄道の夜やサン=テグジュペリの作品を愛読し、ゆず以外の邦楽で好きなアーティストの筆頭がBUMP OF CHICKENであり、ミリマスのプロデューサー(アイマス用語で言う「ユーザー」や「プレーヤー」)としてもジュリアは担当(同用語の「推し」)ではないものの星を象ったソロ曲が大の好物であり、写真撮りとしても機会があればどんなにハードな行程でも撮影に駆け出すくらいには星空や天体とその概念が好きなのである
当然ゆずについてもくず星や月影、ポケット、そして本曲十字星ももちろん大好物なのだが、アルバムでも並んでたSUBWAYとの組み合わせなはずなのにこれで銀河鉄道の夜を象るのは考えてなかった
完全にしてやられた、そう思った
背景にいっぱいの星空の映像を背景に、雄大な大地で天体観測をしているような曲の披露を聞いていて、2番が終わったところで悠仁がおもむろにセンターステージに駆け出した
四方にいる客席に向かって歌うのかと思いきや、メインステージの厚ちゃんの方を向いて歌っている……!
これには客席みんなが静かに聞いていたが、心の中では爆発したいくらい叫びたかったんじゃなかろうか というか俺が叫びたかった
歌い切った後の悠仁の表情は、今まで見た物の中で一番清々しかった気がした。


今度は打って変わってロックな曲調の青 かける→RAKUENといい今回のセトリは風邪ひきそうになるようなテンション差で襲い掛かってくる
若い頃のゆずのロックな曲調とは裏腹に歌詞は「自分が途方に暮れたときに手を差し伸べてくれたことを忘れられないように、悲しんでるお前のことを見て見ぬふりはできない!もしお前の周りで同じように思ってる人がいたら、そっと支えてやってくれ」という優しさに満ち溢れたメッセージが込められているこのギャップが好きな曲である 人の優しさにに支えられて甘えてばっかりの私にも、誰かの悲しみに寄り添うようなことができるようになるのだろうか
この曲の終了と共にツアーロゴがモニターに表示され、ギターインストと共に出演者が退場して前半戦の終了

幕間
幕間には今回のツアースポンサーの日産 SAKURAにゆずの二人が乗って旅をしながらツアーで巡る土地の「図鑑」を完成させる、というコンセプトの映像が
初日はどんな「図鑑」が好きだったか、二日目はアルバムのアートになっている花の話をしながら悠仁が運転して助手席厚ちゃんが乗ってる映像が
初日に埋めた図鑑は長野の郷土料理の「おやき」 二日目にはここでちょっとした事件が
……この二人が移動してるこの車窓、なんかすっごい見覚えがある……
しかもこれ、学生時代にすっごい見た景色だ……
二日目に埋めた項目は長野を代表するお寺「善光寺」実は筆者、長野で学生をやっていた時分に善光寺周辺の界隈を出入りしており、あの辺りの道は映像を見れば何となく場所が分かってしまうのだった
そんなハプニング(?)も傍目に二つ目の幕間映像 今度はMVにも出演していたゆりあんレトリィバァによる伏線回収のダンスレクチャー
今回の伏線回収、ダンス曲であることはMVを見ていれば分かったのだがテンポ速いし難しそうだし、何より過去のタッタやFroniterのように事前にダンスレクチャー動画公開がなかったから客席で踊ることはないと思っていたので、「え、これ踊るん!?」ってなってしまい
レクチャーを見て四苦八苦しながらなんとかその場で何とかして動きを覚えたが、果たして本番にちゃんと踊れるだろうか……

スミレ
後半戦一曲目は、コンセプトの植物図鑑らしく花の曲からスミレ
道端にひっそり咲いている野花の菫のように、力強くも可憐な「君」に憧れてそれを支える役割になろうという、これまたそっと傍に寄り添ってくれるような優しさの曲

「踏まれては立ち上がる 君に憧れて 君になりたくて」
「花になろう 風になろう 君の瞳に映る景色 その全てが悲しみで滲む時は
空になろう 雲になろう そして君を照らす太陽 心の根が枯れてしまわぬように」
「川になろう 雨になろう 乾いた街の中に一人 泪すら流れ落ちない時は
舞い落ちる雪となり 君のもとに降り積もろう 同じような傷跡にそっと」

ゆず「スミレ」歌詞より

力強く可憐な「君」に対してどんなことができるかを考えられるのも「強さ」の一つだな、とライブで聞いて思うことがあった

花言霊
ここから怒涛の勢いでライブが進行していく
スミレの暖かな曲調から、今度は冷たい土の中に埋められた種子から根や葉は生えていき、最終的に咲かせることができた花を讃える花言霊
花の輝きは、地中にうずめられ、そこから水を求めて根を、日を求めて芽を伸ばし、その果てにとしてはとても刹那的にしか花を咲かせることができないが、それがために美しい その美しさを讃えるために与えられた花言葉はその花自体が魅せる美のみならずその植物の性質から本質を見抜くことから「言霊」という言葉を当てはめたのは言葉遊びのみならず花言葉の存在の比喩としても面白いと思った
曲の最後に、最初に歌われた「腐葉土の奥深く 蟲たちは蠢く」がまた歌われていることは、花が本来種子を実らせ子孫を残すためのものであり、その種子が実って土に埋まり、次の世代に継承していったことを示す
また、この曲はCD音源でもそうであるが、それ以上に生演奏でのストリングがとても美しかった
バックバンド「The flower bands」Guitar 真壁陽平による楽曲全編に渡るアコギのアルペジオ、Violin 佐藤帆乃佳、亀田夏絵、Viola菊池幹代、Cello結城貴弘の四重奏の組み合わせが種子がいる土中の静けさや芽生え、太陽に向かって茎を伸ばす力強さの象徴としての生命の美を表現していた
楽曲が進むにつれてメインモニターでは一つの植物が成長していき、花が咲き、一匹の蝶が花に止まったところで次の曲に移っていく

ワンダフルワールド
世界の情勢が荒んでいるときに聞くと考えたくなる曲が、このご時世のライブで披露された
これはかなり意味のあることであろう

「機関銃を抱きしめて眠る子供が 荒れ果てた大地で夢を見る頃
まばゆい朝の光に包まれた少女は 優しい母の声で目を覚ます」
「青く光るこの地球(ほし)の声が 聞こえるかい? 生きとし生ける全ての命のふるさと
奪い合い 傷つけ合い 憎しみ合い そして消えてくのは 罪無き名も無き大切な仲間達
知らん顔した街は今日も華やいで 君を呼ぶ声さえもかき消される」

ゆず「ワンダフルワールド」歌詞より

ある人の日常を切り取ってみれば何てこともない平和な日常が続いているが、その切り取られた別の場所では所属している社会のみならず自身の生命や尊厳を懸けて、人を傷つける道具をお守りにさえしている
これほど残酷な対比はなかなかないだろう
だがしかし、これが世界の現実であり、目を逸らしてもこれが変わるようなことは決してない

「生まれたその瞬間から 矛盾を抱え生きてゆくのなら
神は何の為にこの世界に 全ての命を与えたんだろう?」

同上

このような現実に対して、只の一市民ができることはあるか?
この問いに対してこの曲は、答えとまではいかないがヒントは提示してくれていると私は考える

「世界よ今日も回れ回れ 愛も悲しみも 飲み込んでゆく」
「未来へ向けて進め進め 善も悪も道連れにして
儚くて消えそうな希望を探す」
「全てが永遠(とわ)に愛しいワンダフルワールド」
「世界よ今日も回れ回れ 君と僕を繋ぐ
未来へ向けて進め進め 君も僕も生きている」

同上

生命を慈しみ、愛し、全てを受け入れる気持ちをもって生命を実感すること
これが私がワンダフルワールドから受け取ったヒントを基に出した答えの一つである
また、今回のワンダフルワールドは演出の観点から見ると少し違った解釈が見えた気がした
本来、というよりこの曲が出たアルバム及びアリーナツアー「Wonderful World」では原生林を思い起こすようないっぱいの樹木とそれに寄り添う草木のビジュアルであり、力強い大木の生命が前面に出るものであったが、今回は先の花言霊で咲いた花と、それに止まった蝶の背景に朝陽が差すといったものであった
筆者が写真撮りとして追いかけてる被写体の一つに朝陽や夕日があり、確かにワンダフルワールド(素晴らしき世界)の象徴としてのこの象徴は合致していると思った

「泣きそうなほど美しい ワンダフルワールド」

同上

本当に美しい景色を見ると、感動が通り越して泣きそうになるのは風景撮りとして何回も体験しているので、そのような「素晴らしき世界」の実現に向けたアイコンには相応しかった

栄光の架橋
ワンダフルワールドから間髪入れずに栄光の架橋が始まる
この曲についての言及はもはや必要ないだろう むしろ曲の解釈について何かを書くことが蛇足にすら感じられる
ライブ当日の披露としては、かなり原曲に忠実な演奏であり、特に弾き語り披露の時なんかは悠仁は1番は観客に歌わせることが多いのだが、今回はそんなことはなく、全篇に渡って自分たちの歌声を聞いてほしい、という意思が伝わってきた
花言霊から始まった美しき生命の物語の最終章としてこの曲が選ばれたのはこの二人のライブとしては最高の解として私の心中に迎えられた

MC~Frontier
ここでMCが間に挟まり、ライブが佳境に差し掛かったことを伝える
悠仁が「ここで喋ったが最後、ノンストップで盛り上がっていくが準備はいいか!?」と煽り、音楽が流れながら大きな旗と共に二人がセンターステージへ
ここで普通ならFrontierだ!ってなるところ、初日の私はどういうわけかBIG YELLから何か披露があると勘違いして手元に旗を用意するのに遅れていた(あほ)

FrontierはRitaの時はまだ未リリース曲であり旗の動きの予習の動画くらいでしか聞けなかったのだが、ビューティフルのB面及びアルバム収録曲であり、前回のHIBIKI公演でもやっていたので、初日にスタンドからアリーナを見下ろして客席の旗の動かし方はRitaの時以上に洗練されていたように見えた でもライブ全篇に渡って旗振ってる人いたけどそれは見えなくなるからやめてほしいなあ
元々バスケットボールの関連の曲だったので疾走感に溢れたメロディと歌詞で会場も最終盤の盛り上がりとばかりに高まっていった
筆者自身もRita終演後やビューティフルのと同時に音源リリースが決まって配信が始まった時には家で旗を振って暴れていたくらいには好きな曲だったので、またこうしてライブ披露が見れて嬉しかった

夏色
Frontierでみんなで旗振って暴れたのに続いて今度はタンバリンで暴れることが定番になってきた夏色である
悠仁が曲間に「ゆずのライブは、旗を持った後にタンバリンを持つ忙しいものとなっております」とMCを入れて忙しなくカバンからタンバリンを出して持ち変えることに
二日目はこの忙しなさを知っていたから周りへの直前のネタバレとか関係なく速攻でタンバリン出して待機していたのだが、ステージ前方でも同じようなことが起きていたらしく、悠仁が「どうして先回りするんですか~www」って言ってて笑った
そして曲の開幕と共にいつもの銀テ射出なのだが、ここでまさかの演出が見れた
ツアータイトルになってる「図鑑の『図』」の色分けで銀テが射出されていたのだ

図鑑の「図」さん

初日にスタンドから見ていたのでこれに気付いたのだが、ライブ中「これスタンドで見てた人は分からんやろな~」って思って見ていた(実際初日にアリーナだった友人たちは銀テの色がなんで固まって射出されてたか分からなかったらしい)
2番から悠仁がステージからアリーナレベルに降りてきて客席通路を巡りながら何かを配ってて、厚ちゃんが「り、リーダー何してんの~?」って聞く始末
曲をひとしきり終えてもう一回コールの後に悠仁が「申し遅れましたが私、お花配りおじさんと申します~!」と言ってて確かに花配ってるのがモニターに出てたけど?????には正直なった(小声)
いつも通り2回目のもう一回を終わらせる間に悠仁はステージに戻ってきていた

Chururi
そして続くは聞くとスキップしながら散歩したくなるChururi
今にして思えばビューティフルのMVが出た時だけじゃなくてChururiがデジタルシングルリリースされた時のジャケットでも図鑑の世界観は提示されていたのかあ、とアルバムコンセプトが出たときには思った
Chururiを歌う前にも前のアリーナツアー長野公演が中止して、止まった4年半の時が動き出した気がしたと歌ってくれた
何度も何度もこうして口にしてくれることが本当にうれしくてしょうがなかった
憂鬱な出勤の時とかにこれを聞くと心が軽くなったりしているので、アルバム収録曲でほぼ確実にやると分かっていてもこれが聞けて、歌えたのはうれしかった
後ヴァイオリンたち4人が公演ごとに仮装をしていた
初日はリンゴ姫、二日目は……まさかのあるクマ まさかこんな形で地元のゆるキャラが紹介されるとは……

Interlude -harmonics-~ビューティフル
のんびり散歩する感じのChururikから一転して今度はビューティフルと、それのための序章としてInterlude -harmonics-が流れる
HIBIKI公演のコンセプトとして出された曲ではあるが、これくらいの時期にリリースされた曲は本当に私の心の本質を突いている

「狂いそうになって 塞ぎこんだって もうどんくらい 暗い 嫌 辛いや
痛みは止まらない 何も変わんない
踏みにじられたって 奪い去られたって 舌の根の乾かない 時は過ぎんだ
忘却の彼方に消えていくんだ」
「悲しみの中にしか咲かない花があるから 大地かき分け芽を伸ばす 光へ」
「どうやってみたって 到底無理だって 立ちはだかるんだ 高すぎる壁の前でも
切り開くんだ いつだって握ってる 運命はこの手にまだ ほら託されたまま 決めるのは君次第だ」
「分かり合えないときに 見つける歌があるから 囚われた 心手を伸ばす 闇から」

ゆず「ビューティフル」歌詞より

心のバランスが狂って塞ぎこんでしまい、何もかもを投げ出しそうになった私に、その悲しみの中でしか咲かない花というものがあること、どんな障壁にぶつかっても自分がどうするかの主導権は自分が常に握っていることを教えてくれたことを、ビューティフルのリリースで思い出させてくれた
そして、ステージを見ると、あの荒涼としてた大地にいつの間にか花が咲いていた(後々添付してる終演後の写真に映ってます)
この図鑑でのビューティフルの披露の驚きはこれだけに留まらない
2番が終わって曲も佳境に差し掛かろうとしているタイミングで、初日にスタンドにいた私は「なんか冷たい風が下から上に吹いてる…….」という異変に気付いた
そして大サビに突入した瞬間、自分の目を疑った
アリーナに一面の蝶が舞った
モニターでもアルバムジャケットになってる植物たちを背景に蝶が舞ってる映像が流れたから錯覚だと思ったが、錯覚ではなかった
本当にアリーナ内を蝶が飛んでいる
無論本物の蝶を放ったわけではなく、正確に言うと蝶の形を象り色を刷られた発泡スチロールの蝶だったのだが、ひらひらと舞い落ちるそれは生きている蝶そのものだった

アリーナだった二日目に運よく取れた蝶
上側の羽の端に重りを付けて重心バランスを崩し、ひらひら舞うようにしていた

まさかライブイベントでこ
んな光景を見れるとは思わなかった
花を思わせる証明やモニターの映像の中視界いっぱいに蝶が舞うその光景は語彙力を鍛えたとしても「ビューティフル」としか言えなかったであろう
夏色の銀テ演出のみならず、この景色もスタンドから見た方が綺麗だった
今回のツアー、もしかしなくても下手なアリーナ中盤以降よりもスタンドのほうが当たりな席だな……と思いながら、目の前の絶景に見とれていた
そしてビューティフルの披露後、悠仁から公演に来てくれたことの感謝が伝えられ、「最後は踊るぞ!!!!!」と最後の曲に移行していく

伏線回収
待ってました、遂に幕間映像の「伏線回収」です
ビューティフルできれいに終わるのかと思ったら、図鑑の最後のページで伏線が回収されました
ゆずの曲としては結構久しぶりにこんな感じのわちゃわちゃした曲が出てきたな~と曲を聴いた時に思った
ダンス動画が若い人の間で流行ったのも含めて、恋、弾けましたの時みたいな風味のする曲って感じが個人的には感じられた
で、肝心のダンスの方は……
何とか踊れた……のか……?って感じだった(小声)
直前の予習に加えて悠仁がステージで踊ってくれたからそれに合わせて何とか身体を動かしてついていけたかな~って感じ
昔恋、弾けましたが出た時はライブ行かないけどダンス何となく練習して大体できるようになったので、あれからも時間経って身体が衰えたな~とも思ったり
伏線回収~の所のポーズは一応覚えてきていたので、Frontierあるし事前にレクチャー動画なかったからこれだけで勘弁してくれ~って思ったけどダメでした(小声)
この曲にてライブは終演し、恒例の全員での会釈とバックバンド・バックダンサーが捌けてからの二人だけでの肉声での「気を付け、ありがとうございました!」と抱擁を見届けて閉幕

終演後……
終演後のモニターにいつも表示される「またあおう ゆず」の文字が表示されることを待っていたら最初に表示されたのが「愛する長野」でまたうれしくなった
これがYUZUTOWNのリベンジによるものだったのか、それとも今回は公演ごとにこれを書いてるのかは分からない、けどやっぱり客席の人間としてはYUZUTOWNの事を重ねてしまい、心に来るものがあった

まさかの「愛する長野」の文字が……!
ステージに花が咲いたのもここに映ってる

ライブを終えて……

さて、ここまで長々と書いてしまったのだが、最初にライブ参加する前にある一つの疑問を自分に投げかけたことを覚えているだろうか

自分の中で、コロナ禍と決着が付けられるかもしれない

この結論は、もうライブの章を読んだ人にはもう分かるかもしれない

コロナ禍の忘れものはちゃんと取りに帰ってこれたし、自分の中でのコロナ禍の決着は十分についた

もうこれに尽きる
この疑問については初日の段階で結論が出て、二日目は後は純粋に楽しむだけ!というところまで行っていた
これから先、辛いことがあるかもしれないし、その辛さは永遠かと思うこともあるかもしれない
けど、私にとって永遠に思われたコロナ禍という呪縛が4年半越しに解かれたので、やはり「止まない雨はない」ということなのだな、という心の満たされを実感しながら、長野を後にした

最後の挨拶に替えて

ここまで長々とお付き合いいただきありがとうございました
本当はライブレポートのような形で執筆をする予定だったのが、この公演への想いの本質がYUZUTOWNにあり、そのYUZUTOWNへの想いを説明するためには私のゆずっことして、そして一人の人間としての人生を語る必要があったため、こんなに長々となってしまった次第です ここまでで既に18000字を超過しており、推敲の過程でちょっとずつ水増ししていけば20000字の大台突破できるんじゃねえの?って感じではあるがさすがにそこまで書く元気はないので辞めます()

本記事で私の事を知っていただき、もし興味が沸いたという方がいらっしゃったら各SNSを明記しておきますので、よろしかったら覗いていってください
今回は読んでいただき、ありがとうございました!

ばんちゃ/番茶(Bang_Ch@rm)
X (Formally Twitter): @Bang_CharmP
Misskey.io: @Bang_charm@misskey.io
Bluesky: @bangcharm.bsky.social

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?