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猫の糖尿病

2021年の10月から3年近くのあいだ、正月だろうが前日明け方まで呑んでいようが、朝は5時半に起きている。また、平日でも休日に出かけた日でも、どんなに遅くとも18時には帰宅している。
 
猫が糖尿病になったから。

朝6時と夜18時にはインスリン注射を打ってあげなくてはならない。そして注射を打ってしばらくの間は、猫がちゃんとご飯を食べているか、具合悪そうにしていないか、よく観察する。低血糖の危険があるためだ。
 
猫の糖尿病には人間のような合併症はない。インスリン注射さえちゃんとできていれば健康に暮らせる病気だ。ただ、そのインスリンの効き具合により低血糖になる危険があるのが怖い。低血糖の発作が起きたときに誰も見ていないと、死んじゃうかもしれないのだ。でもインスリンを打たないと、自然と弱っていき確実に間もなく死んじゃうから、やはりどうしてもインスリンは打ち続ける必要がある。

ウチの猫は一度、インスリンが効きすぎて、夜に低血糖の発作を起こした。変な動きをしていると思っていたら、くたっと倒れて痙攣をはじめたのだ。あわててブドウ糖を口に垂らすとすぐに治まったが、「低血糖は死ぬ」の意味を身をもって知る経験となった。その後は主治医にインスリン量を減らしてもらい、今にいたるまで同様の症状にはなっていない。

ちなみに、ウチの猫の主治医は、往診専門の先生だ。最初に猫の様子がおかしいと気づいたときに、あわててインターネットでさがし、すぐに連絡をとったのだった。

やたら水を飲む、おしっこが多い、食欲はあるが痩せてきている、そしてなにより、話しかけるといつもキラキラした目で見つめ返してくるのに、どこか一点を見つめたままで、少しもこちらが目に入っていないような様子で座っていたりする。絶対におかしい、と思い色々調べると、猫は腎臓が悪くなりやすく、腎臓というのは悪くなったところはもう二度と回復しないのでとにかく急いで対処する必要がある、という恐ろしい情報が次々に出てきた。非常に焦った。

だがこの可愛い雄猫はたいへんに臆病で繊細なのだ。かつて2泊ほどの外出の際に夫の実家へ預けたときは、お風呂場にこもったままで一度も食事をしなかった。以来私たちは我が猫を置いて外泊をしたことは一度もない。さらに私たち夫婦には車がない。以前住んでいた家は近くに動物病院があったので、暴れて逃げたりしないよう、洗濯ネットに押し込みチャックを閉めて、夫が両手でしっかりと猫を抱き私が周囲の安全を見守りながらゆっくり歩むという方法で連れて行ったことがあった。しかし行った先ですぐに診てもらえるわけではないので、洗濯ネットに入ったままの猫は、まわりで聞こえる雑多な音、犬の鳴き声などにおびえ、不安そうに小さな声でずっと「うーっ」と唸っていた。その時は人間も猫もみんなとても疲弊してしまった。今の家は少し歩いた先にしか動物病院は無いし、あんな可哀そうな目にあわせるのは避けたい。だから可能ならば往診でお願いしたい。

それにしても往診に来てもらうなんて、ただでさえお金がかかることなのにウチの経済力では無理なのではないか…。ダメもとで探してみると、意外なことに往診料を別途請求しない良心的な獣医さんがいるとの情報が得られた。口コミをみるとみんな口をそろえるように「先生は神」だと言っている。この人しかいない。

実際、来てくれた往診獣医師は素晴らしい先生だった。最初の出会いから3年、今でも2~3か月に一度来ていただき、インスリンの量などの調整をしてくださっているが、先生は何を聞いても明瞭回答で、診療料金もお手頃、余計なものを買わせるようなことはいっさいしない。「神」と呼んでもいいかもしれない。動物のことは本当に心から心配して診てくださるが、人間に対しては全く興味がない様子、というその態度も、私は好きだ。

幸いなことに心配していた腎臓に問題はなかった。しかし初めて「糖尿病です」と診断が下されたときはさすがに驚いた。猫って糖尿病になるの?しかも毎日2回、自分で注射をしてあげなければならないとは。

とにかく毎日、とても気を使わなければならないし、寝坊もできないし、夜に遊びにも行けないし、遠出もできないし、お金もかかるし…。私たちにできるだろうか、という不安な気持ちでいっぱいになった。しかし、やるしかないのだ。インスリン治療をしないという選択肢は、この子の「死」しか意味しないのだから。

だけど、今になって思うこと。手間がかかればかかるほど、以前よりずっと、我が猫のことが愛おしい。というかむしろこの、猫中心の制限のある生活が、私には愛おしい。出かけた先で「猫の注射の時間だから」と中座する時、残念というより誇らしいような満ち足りたような謎の気持ちになる。病気になっちゃった猫には悪いけれど、誰にも憚ることなく、猫への愛を無制限に注ぐことができるのが嬉しくてたまらないのだ。

「さあ、お注射ですよ!」の私の声に、自分からソファに登り背中を差し出すオリコウサンな日もあれば、「ブー」と鳴いて椅子の下に隠れてしまうナイーブな日もある。どちらにしても、最後には大人しく注射を受け入れてくれる我が愛猫のことが本当に愛おしい。主治医も、こんなに大人しく注射をさせてくれる子は他にいないと褒めてくれる。まるでこの注射によって自分は元気でいられる、ということがわかっているかのようなのだ。

この子のために、今日もがんばろう!と思って私は生きている。


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