安井金毘羅宮に行ったら、多くを失った
安井金毘羅宮との出会い
私は客先で仕事をしていた「しがない下請け」社員であった。
だが、その客先で暴言を受けて無理難題を言われた出来事があった。
そんなときに、ネットで「強烈な縁切り」として安井金毘羅宮を見つけたのだ。
関東圏の住人には京都は遠い。
安井金毘羅宮の写真をスマホの待ち受けにし、縁切りを願ったのであった。
そして縁切り成就。お礼参りで1回目の参拝
客先にて暴言いただいたことなどを上司に相談した結果、3月末で仕事を終了することが内定した。
そのため、24年1月にお礼参りのため、弾丸で京都に向かったのである。
土曜だったのですごい人出であった。
手順を聞いてお参りし、例の石をくぐるために30分並んだ。
お礼参りなので、お賽銭を奮発したことは言うまでもない。
途中、絵馬があったが、怨念がこもっていて直視できなかった。
縁切りの報告と御礼、縁結びのお願いをした。
次は良い仕事とご縁がありますように。
(実は本命の縁結びのお願いは他にあるのだが、身バレしたくないのでここでは割愛する)
形代を貼った後、お守りを三種購入した。
縁切り、縁結び、心機一転である。
これからも安井金毘羅宮のお守りを肌身離さず持ち、一緒に悪縁を切り、良縁を結んで、心機一転の日々を歩んでいこうと思っていたはずだった。
会社の裏切り、会社との縁切り
4月に会社から新たな仕事を割り振られたが、これが激務だった。
明かな丸投げであり、中々進まないものであった。
対応できないので断ったが、強制的に担当させられた。
これが地獄だった。
実は家庭の事情もあって、仕事と家庭の両立について配慮してもらいたいことを事前に伝えていたし、会社も了承していたのである。
それにも関わらず、平日は夜遅くまで、土日祝も対応せざるを得ない状態に追い込まれた。
結局、健康を害して離脱。
会社に対しても多大な不信を感じて辞めることとなった。
2回目の参拝
「もう無理だ」と悟った時に、これは安井金毘羅宮の影響なのではないかと直感的に思った。
短期間で不幸が立て続けに起こったからである。
1回目の参拝から半年で、仕事と会社の両方と縁を切ることとなった。
故に、肌身離さず安井金毘羅宮のお守りを持っていることが恐ろしくなったのだ。
これはお守りを返して、安井金毘羅宮の御霊を鎮めていただくしかない。
再び京都に弾丸で向い、安井金毘羅宮を訪ねた。
平日だったせいか、初回に比べると人の数は少ない。
ただただ形代に「平穏無事」と書き、ひたすらに以後の災いが来ないよう祈った。
そしてお守りを社務所に返納し、逃げるように京都を出たのであった。
この時の気持ちとしては、安井金毘羅宮が怖すぎて参拝するのはやめようと思っていた。
それくらい、霊験あらたかだったのである。
いまのところ・・・
いまのところ、平穏無事の願いを聞き入れてくださったようである。
特段何事もないように思える。
ただ、もうそろそろ仕事をしたいので、安井金毘羅宮に改めてお願いをしたいとも考えている。
何度も言うが、霊験あらたかだったからである。
それに、お守りを返納したことに後悔も感じていた。
しかし、3度目のお願いに伺おうと思うと、新幹線が停電になったり、雨が降ったりと、なぜか行けない状態になる。
当面、京都には行けそうにもない。
とりあえず、スマホの待ち受けを安井金毘羅宮の写真に変えることにした。
事実に基づいていますが、会社や人物の特定が出来ないよう、一部内容を変えています。
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