カテゴライズ
Z世代とか、α世代とか、ミレニアル世代とか、生まれた年代ごとに「〇〇世代」って分類してそれぞれの特徴を分析することって、どうなんだろう。良いことなのか、悪いことなのか。
そもそも「良いことか悪いことか」っていうのもどんな視点から考えるかによって変わってくるし、はっきり白黒つけられるものではないのだけど。
テレビでは「昭和世代vs令和世代」とか、z世代の特徴とかを特集して、「z世代に対してこういう対応はやめましょう」みたいなことをしょっちゅう放送してるけど、それに対して「私も私の周りも全然そんなんじゃない!」「そんなの人によって違う」といった意見は必ず出てくる。
血液型診断とかと違って統計を取ってそこから言える傾向を報道しているのだろうけど、必ず批判的な意見が出るのになんでこんなに報道されるのだろうか。批判しつつ実は見たがっている人が多いのか、批判の意見が出回ることで番組の知名度を上げる炎上商法的なものなのか。
世代ごとに分類されて分析されると嫌だと感じるのって、自分が分析される側の時が多い気がする。自分から「私たちはこういうことが好きで、こういうことをされるのは嫌で、こんな考えを持っています」って発信するのはいいけど、ここで言う「私たち」に含まれない人から「あなたたちにはこんな特徴がありますね。こういうものが好きでしょう。こういうことは苦手なんでしょう?」とか言われるのは嫌だと感じる。「決めつけるな!違う人も沢山いる!」と反発したくなる。
でも逆に全く違う世代の人を「おじさん構文ってこういう感じだよね」とか「団塊の世代の人たちってこんな人が多いよね」みたいに言う時は、あるあるとして楽しめてしまう。実際にその世代の人たちからしたら、「決めつけるな!人それぞれだ!」って思われるのだろう。
分類される当事者かどうかで見えているものの解像度が違うからかな。
自分を含まないグループに対しては、全体の傾向とか、目立つ部分を見て「こういうこと多いよね」「あ〜!あるある!」って、グループの外の者同士で楽しく話せる。例えば「小学生男子(女子)あるある」とか。
逆に自分が含まれるグループに対しては普段から関わっている分細かい部分が気になってくる。「全体的にそういう傾向があるから」
「そういう統計があるから」などと言われても、全体じゃなくて「私を分かってほしい」という思いが前に出てくる気がする。実際にそういう傾向があったとしても、自分や周囲の人がピッタリそうな訳ではないし、もしピッタリ合う部分があったとしても、自分と同じグループに属さない人からそれを言われたとしたら「そうかもしれないけど、だから何?」「それを知ってどうするの?」と、言い当てられたことが怖いというか、不安になる気がする。
私を分かってほしいのに、考えや行動の癖を言い当てられたら何をされるのかと不安になる。相手との間に高い壁がある。
ちょっと何を言っているのか自分でも分からなくなってきた。
でも、ミレニアム世代からz世代、その次がα世代とか、若い世代の傾向についてテレビでよく取り上げられるのは、上の世代が若い世代との大きな違いを感じながらも何とか傾向を掴んで歩み寄ろうとしたり、少なくとも知ろうとしているってことだと思う。会社で上の立場になってくると部下との関わりは避けられないからかな。上司の立場になったら、自分から部下に歩み寄って良い関係を作っていかなければ仕事が上手く進まないし、立場が上になるほど会社全体の仕事のことを考えなくてはいけなくなる。だからどんどん入ってくる若い人のことを知ろうと頑張っているんだろうな。
若いうちは、特に学生のうちなんて、同世代の中で人間関係のほとんどが成り立っていて、親とか先生のことは「親」「先生」というグループでしか見ていなかったなと今では思う。年齢による違いとか、気にしたことがなかった。違いを気にしないものは同じ大きなグループの中に分類されて、気にする度合いが高まるにつれて分類は細分化されていく。
私はまだギリギリ「若者」として分類されて分析される側だ。分析されたことに対して「そんなことないわ!」と言いたくなることもあるけど、ここまで考えてくると、近づこうとしてくれていることを嬉しくも思える。「z世代ってこうだよね」で終わらずに、「実はこういう部分もある」「こんな人もいる」「私はこんな考えを持っている」というところまで知ってもらえるような関係を築いていけたらいいんだろうな。その入口としてなら「〇〇世代の特徴」とかいう分類はあっても良いのかもしれない。
でもテレビの放送が嫌だと感じるのは入口で止まっているからなのかも。入口は深く知っていく過程でみんな通るものだからあっていい。でも、入り口の知識を「Z世代はこうです」などと断言することは、それ以上深く知ろうとしていないことを宣言しているようなものなのかもしれない。