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12/30 祈り

私が命を過不足なく捉えていた頃。要するにまだ幼かった頃。
保育園に行きたくなかった私は近所にあるからという理由で幼児音楽教室に通いはじめ、流れでヴァイオリンをはじめ、そこから2年ほどたったある日、母方の祖父は亡くなった。

祖父は"昭和の男”がそのまま人の形を取ったような豪傑な人だったが、私がヴァイオリンを弾くことも、なんの根拠もなく「バイオリニストになる」と宣言し続けることも穏やかに受け入れ、応援してくれた。

ある日、祖父は映画で観たとかでちょっと知っているからと当時5才の私に「真由夏のツィゴイネルワイゼンが聴きたい」と、こともなげに言った。
とはいえ我が家は音楽一家ではなかったため、私の稚拙な音以外全くクラシックの気配はなかったし、祖父も本気で言ったわけではなかったのだろう。

当時祖父は既に癌を患っていて、まだ5才の私は癌がどのようなものか知る由もなかったが、祖父にツイゴイネルワイゼンを聴かせてあげようと練習をはじめたのも、「がん」という言葉の響きと周りの家族の態度から、なんとなく何事か察していたからだと思う。

結局、ツィゴイネルワイゼンを弾いた人生初の発表会に
祖父の命は間に合わず、そのことについて悲しいという感情はまだなかった私だったが、演奏を終えロビーに出ると、見知らぬ高齢の女性が近づいてきて私の手を取り、涙を流しながら「ありがとうね」と繰り返した。
その時目に焼き付いた光景と、小柄なその女性のしわしわのあたたかい手は今でも強烈な記憶として鮮明に私の中に残っている。
祖父の代わりにその人が現れてくれたのかもしれないとさえ思う。

あの瞬間、音楽・芸術には人の心を動かす力が間違いなくあるのだという確信が幼心に芽生えた気がする。

芸術は祈りであると、数多の芸術家たちは言う。
時の流れの中でうまれる芸術家たちの祈りの蓄積が、芸術作品なのだ。

今の私には高校大学で出会ったたくさんの芸術家の仲間がいる。
その後もたくさんの出会いがあり、すべての縁が私を想いもよらぬ方へと運んでくれている。

ひとりでは不可能と思えることも、皆で力を合わせ、心に光を届けるように芸術で世界を少しばかりでもあかるくしたい。
二度と会えない祖父への祈りは、これからも絶えることはない。

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